(長い日記なので興味のある方はお時間ある時にお読みください)
昨日は実家に本棚を取りに行ってきました
年末からずっと地味~に大掃除を続けていて
まだ比較的新しい本棚を実家に置きっぱなしにしていたので
持ってこようと思い実家に行きました
入ってた本を入れ直して、本棚をバラしながら
母と、いつも何かを組み立てたりする時は
息が合わなくて、ケンカしながらやってたねと
笑いながら話してました
母は姉とは問題なく組立てができるのに
私とはなぜか息が合わなくて、いつも意見が違って
大げんかしながら組み立てたねと二人で笑ってました
ただ単にお互いにこうやろうというのが頭にあるんですが
それが微妙に違っていて、思いどおりにできずに
ケンカしていただけなんです
ある時に自分自身の中に
人が思う通りに動かないと気に入らないっていう
思考パターンがあるのを気付いて修正したためか
今回は母とはケンカにならずに、労わりあって
仲良く作業を進められました
我ながら、大進歩です
うちの両親はずっと仲が悪くていつもケンカしていました
いつも母は父におびえていました
この日もそんな話をしてきたので
そういえば小さい時におびえて暮らしてなかったって聞いたら
祖父がきびしくていつも怒られたこと
話もあんまりしたことなくて
怖かったって話をしてくれました
じゃあ、その時の苦しかった想いを
父との関係のなかで続けているんだね
人は自分の心の中を周りの世界に映し出して生きてるんだよって
そう教えてあげました
私にとって祖父は夏休みに母が帰省した時に会うだけの
存在でいつもカブトムシ取りに連れてってくれたので
そんなに悪い印象がなかったんです
ただ誕生日が一緒なので
たまにしか合わないけど不思議な縁は感じてました
だけど母の中の祖父はとても怖い存在だったそうです
幼い母がおじいちゃんに言いたかった想いをリーディングして
母に言ってもらいました
母に祖父に言いたかったことを言って
言い終わった時に笑顔で受け入れてくれるところを
イメージして、自分の中の幼い自分が癒されると
驚くほど父の態度が変わるよ
父は母の男の人は怖いという思い込みに合わせて
その役割をやってくれているんだよ
父は父で
兄弟が多くて、祖母は他の兄弟を可愛がっていたから
いつも、のけものにされているという想いがあったと思う
誰も仲間外れになんかしてなくて
色々と気遣って声をかけているのに
俺はのけものにされているっていう想いがあるから
自ら一人で別の行動をしたり
のけものになるような行動をしたり
嫌がられるようなことをするんだよって教えてあげたら
母はとても純粋で素直な人なので
そうなんだ…やってみるって言ってくれました
すると、母のわだかまりが解け始めたことで
私の中でも大きな変化がありました
元々、私は男性嫌いで恋愛ブロックが強くて
ずっとその解放をし続けたお陰で
今、とても大切にしてくれる夫に出会えて幸せになれたんです
癒しがある程度、終えてから
父の立場や優しさや愛情が分かるようになりました
父はとても几帳面で自分のスケジュールで動く人だったので
子どものころほとんど遊んでもらったことがありませんでした
それこそ外に遊びに連れていってもらったのは
数回しかないと思います
そんなかすかな記憶の中で
父から存在を認められてなかった、
あれは今、考えればネグレクトだとか
色々と決めつけて癒してきました
私の中で父の存在はなかったものとして
怒られようが無視されようが気にならないと思い込んで
生きて来ました
その思い込みに合せるように父も
よく理由も言わずに怒りだし
理由を聞いても答えてくれずに
半年や一年、無視され続けることが何度かありました
でも自分への癒しを続けていて
父へのわだかまりはだいぶ消えたのか
父に怒られることも無視されることもなくなりました
とくに結婚してからは
いつ帰っても優しく出迎えてくれました
ふと最近、あることを思い出しました
私が中学生のころ流行っていた
プリプリのアルバムに入っていた「パパ」という
曲を聞いて 中学生の私が
「いまごろ私、分かる気がするパパの子に生まれて良かった」
その歌詞に感動して泣きながら歌っていたことが
ふと黄泉がえってきました
本当に愛されていなかったら
ネグレクトされていたら
この歌で感動するはずがないんです
この歌のとおり
夫はストイックなぐらい真面目なところや
不器用な優しさが父に似ているなと思っていたところでした
なのになんで私は父のことを嫌いと思い込んで
父の存在をないようにしてきたんだろう?
不思議に思っていました
昨日、母のトラウマが解け始めたことから
父への想いが一気に出て来ました
大人の私は自分の思い込みで解釈していましたが
子どもの私が「お父さんが大好き」だと教えてくれました
そもそも
子どものころの私はマイワールド全開だったので
2歳の時にすでに好奇心の赴くまま家を脱走して
一人で遊んでいましたし
3歳のには一人で出かけて遊びまわってました
人見知りも全くせず、恐れの感情があまりなかったので
一人でも平気で遊んでいる子でした
昨日も片づけをしながら
今、思うと私ってものすごく変わった子どもだったよね
私みたいな子どもを他にみたことがないと母と話していました
母も迷子になっても怖くないみたいで
泣かないから見つからないんだよね~ そんな風に言ってました
そんな子どもの私からしたら
一人で充分楽しく遊べるので、
父が遊びに連れていってくれなかったのは全く気にしてなかったようです
遊びに連れて行ってくれなくても
可愛がってもらって、愛されていることを
幼い私はきちんと理解していたようです
そんなことすっかり忘れてなかったことにしていました
そんな記憶を思い出し始めたら
父は今、住んでいる私のうちに来たことがなくて
誘っても来ないと決めつけていたのに
ふと帰り際に父に
「部屋が片付いたら、ジジも遊びに来てね」
そう自然にいうことができました
「それじゃ一生いけないな」そう父は笑っていました
すると自分の中の何かが崩れたようで
帰りの車で父への想いが溢れ出てきました
「私は父を愛している」
「父を幸せにしたい」そんな想いで涙が止まりませんでした
父に愛されていたし、私も父を愛していた
心の底から、その感情を味わうことができました
それに気付けて本当に良かった
とても幸せな気分に浸っていたのに
その日は夫の帰りが遅くて
車から本棚を下ろしたいのに0時過ぎに帰ってきました
(仕事が忙しかったみたいです)
夫はなぜか急に怒り出して
片付けもできなくて、置く場所もないのに
本棚をもってくるなと激怒されました
事前に本棚をとりに行くと伝えてあったのに
その激高ぶりにびっくりでした
いつもは優しいのに…なんで???と不思議でしたし
そもそも本棚は夫の部屋の本棚が古くなってゆがんで来たので
夫に使ってもらおうと、手間暇かけてとりにいったのに
頭ごなしに怒られて、びっくりでしたし悲しかったです
これはなんなんだろうって思って自分の中を探っていたら
どうやら父のことにしても
他の人に対しての人間不信も
自分が良かれと思って、相手のためを思ってしたことで
理由も聞かずに怒られたりしたことが
多かったことで、
自分の想いがうまく伝わらなかったことで
自分の愛情は受け入れられない
自分の想いは通じない
そんな想いが発展して
自分は認められない
自分は愛されてない
そんな思い込みを作っていったことに気付きました
昨夜、怒られた時も
怒られたことに対して
「片付けしている」
「置き場所は作ればある」とか反抗してしまい
純粋に夫に使って欲しくて
わざわざ実家まで取りにいって手間暇かけて持ってきた
その自分なりの思いやりを言えてなかったことに気付きました
これは完全に幼いころの追体験でした
自分の思いやりが通じず、心を閉ざしていった
幼い自分の心をせめて、自分が分かってあげれば良かったんですが
幼い自分にはそれが理解できず
自分のすべてを否定された気になって
結果、父が嫌いとか後付けの理由をいっぱいつくって
記憶を書きかえていました
でも大人になった今、考えれば
父は怒っても私を愛していなかった訳ではないし
ましてはその時の私の想いも知らなかったんです
大人の私が理解して、偽りの記憶の修正をしていきました
夫は後から
さっきは言いすぎたごめんね
週末に一緒に片づけをしようね
そういってくれました
真実は記憶の中にはなくて
ゆがめられてとらえていることが多いので
後から気付いて、大人の自分が理解してあげれば
記憶は修正されて
過去は変わっていくものなんです
過去が変われば必然的に現在、未来も大きく変わります
本当に父との葛藤は私に必要な経験でした
父との葛藤がなければ
元夫との苦しい結婚生活も無かったでしょうし
それがなければ、自分にとっての幸せを追求し続けなかったので
今の幸せもなかったと思います
元夫との間で父との関係性の中の苦しい部分を追体験し
自分を見つめて
今の夫との中で
自分はちゃんと愛されてたということを確認することが
できました
なので父には感謝してもしきれません
お父さんありがとう
コメントを残す