☆おとぴの感じるワンネスって☆

ここのところあぶり出しが一層強くなり

嫌でも自分の本音と付き合わないといけない感じになって

心が揺れてる方が多そうな感じです揺れるハート

 

 

 

そこでこれまた大切な話、ワンネスについてです揺れるハート

 

 

 

あくまで、おとぴちゃんの宇宙でのワンネスについての

説明ですので、みなさんはそれを100%取り入れるのではなくて

それぞれの方の宇宙の中で適切な言葉、適切な表現に

置き換えたり、自分の解釈を加えたりして

どんどんアレンジしていってください

 

 

 

何度もお伝えしているように

自分の中の正解は自分の中にしかないので、色々と感じて

ご自身で納得できるワンネスを感じてみてくださいね

 

 

 

そもそもワンネスとは

「すべては一つ」という完全に調和された世界をさしています

 

 

すべては繋がっている

 

 

あなたはわたし

 

 

わたしはあなた

 

 

 

色々と表現があると思います

 

 

 

それはどういったことなんでしょうか

 

 

そもそも集合意識においてはすべてが一つで

色々な情報を共有しています

 

 

ですが表面、意識においては個人がばらばらで

それぞれ自由に自分を表現しており、自分勝手天国のような感じです

 

 

 

そこから、どうやって「私があなた」であることを感じるのでしょう

 

 

 

そこそも大前提として知っていただきたいのは

人は他人を通して、自分を感覚や感情を感じているのです

 

 

 

色んな感情、楽しい、嬉しい、悲しい、苦しい

おそらく自分一人では感じることができなかった

色んな感情を人を通して、感じているのです

 

 

 

時には相手の些細な言動で

過去のメモリーがフラッシュバックしてしまい

場違いなほど激怒をしてしまったり

 

 

 

前に親切にしてもらった○○さんに似てるから

きっとあの人もいい人だわとか

 

 

 

色々な感情・感覚を記憶を再生しつつ感じています

 

 

 

前の日記でお話ししましたが

人は本来の愛そのものである自分を無意識のうちに

殺してしまいました

 

 

 

愛の感覚を知っていれば、揺らぐことなく

愛を表現し続けることができますが

 

 

 

いったん、それを亡くしてしまうことで

再体験できた時の喜びったらとっても素晴らしいので

とてもとても苦しみを伴って亡くしてしまいます

 

 

 

人は自分の中の確かな愛を亡くしたことで

外に愛を見つけようとして頑張ります

 

 

 

外で想うような愛を見つけられず不平不満を言うわけです

そりゃそうだ…

自分にとって納得のいく愛は自分の中にしかないですからね

 

 

 

まだ自分の中にみつけられない段階では

外に求めるしかないので

だから恋愛をしたり、子どもを通して愛を感じると幸せなのです

 

 

 

 

それは相手を愛しているというよりも

愛することができた自分を愛しているのです

 

 

 

 

そんなことはない

 

 

 

私は彼を愛しているとおっしゃる方はたくさんいると思います

もちろん、そこには愛はあるとは思います

 

 

 

そもそも自分を愛せてない人は、本当の意味で人も愛せないのです

人も愛せなければ、世界も愛せないし信じられないことばかりでしょう

 

 

 

そういった愛は愛といっても無条件のものではなくて

条件付けの愛であることも多いと思います

 

 

 

多くの人は誰かを愛しているといいながら

相手にたくさんの制限を加えています

 

 

 

 

どうして制限を加えないといけないのでしょう

どうして制限を加えることで安心を得ようとするのでしょうか

 

 

 

 

本当の意味での愛を知らないから、それがいつ壊れるか不安だからとか

相手も自分も信じられないからとか

色々と理由は考えられます

 

 

 

私も自分を受け入れ愛せるようになって

出会った夫との愛でたくさんのことを知りました

 

 

 

 

彼が何かをしたから嫌いとか、そういったレベルでの愛情ではないんです

ただ彼が存在してくれるだけで幸せでしかたない

彼を心から愛しているから、想うように生きて欲しいんです

 

 

 

まだ子どももまだいないので互いにとても尊重しあい

自由に生活していると思います

色々と出歩いていて甘え過ぎて申し訳ないなぁと思っても

お友達がたくさんできていいねと暖かく出迎えてくれるので

本当に感謝しかないです揺れるハート

 

 

 

 

男の人と二人で出掛けちゃだめとか

いくつかの約束事はありますが、制限されている感じではなくて

互いの合意の上での優しい愛の約束があるだけです

 

 

 

 

互いの自由意思を尊重した上での愛

 

 

 

 

愛を知った上で世界をみていくと見方が変わってきました

 

 

 

 

いかに自分の主観による偏った視点で人も物事も

見て来たか気付いてきました

 

 

 

 

ちょうど震災があってたとえやすいですし

みなさんも経験しているので例にあげますね

 

 

 

たとえば被災地の方をみていると

苦しくなって何かできることがないかと思って募金をしたり

被災地に出向いた方もたくさんいると思います

 

 

 

たとえばそこで、あんなに大変な想いをしている人がいるのに

ぬくぬく暮らしている自分が申し訳なくて罪悪感から行動した方も

多いと思います

 

 

 

苦しみに直面している人たちをみて

自分の中の苦しみを無意識に投影し助けたいと感じた方も

いらっしゃると思います

 

 

 

 

そうです。被災者を助けるというつもりで

本当は自分のその感情も助けているんです

 

 

 

 

基本的に、その時起きた出来事での感じ方は

その時の自分の在り方が反映されるので

助けたいと思った方は、なんらかしら助けたい自分がいたんでしょう

 

 

 

募金をすること、被災地へいくことで

互いに助けあえてるわけで素敵な相互関係があります

 

 

 

 

ヒーリングをやっていると顕著に分かるのですが

その時の自分の問題を投影している方や

何かの感情・感覚を呼びさましてくださる方がいらっしゃいます

別に表立った問題だけでなくても

振り返ると、その時に必要な方がヒーリングにいらしてくださるので

そのたびに、自分も気付き癒されていきます

 

 

 

 

基本的にその時の出来事でも文章の中のワード一つでも

何かひっかかったり、頭に来たら

その人の中の何かを反映させているので

それに気付いてわだかまりを解消することを繰り返してきました

 

 

 

 

そうして繰り返していくと、どんどん実感として分かってきます

すべての人が自分を映し出す鏡であり

すべての人、物…本でも文章でもなんでもが

その時の自分を教えてくれるのです

 

 

 

 

それは素晴らしい完璧なバランスでできていて

どれもこれも気付けば気付くほど、いかに無駄なく

さまざまなことを教えてくれていて色々なことに気付けるのです

 

 

 

 

本当に人も物も地球もみんな繋がっているんだって実感できます

 

 

 

 

ですが、ここで大切なことは

自分の感覚と相手の感覚を混同させないこと

 

 

 

 

自分がきちんと見えていないと

相手の問題も自分と混同してしまい

必要以上に手助けしてしまったり、感情的になってしまいます

 

 

 

 

自分が確立されていると

相手が怒っていても、それが自分の中でひっかからなければ

相手は私を通して何かをみているだけで

私の問題ではないと気付けスルーできます

 

 

 

 

それができないと不条理に怒られた~と凹むわけです

 

 

 

 

相手と自分の問題を混同しなければ

必要以上に手を出さす、人の問題を静かに見守ることもできます

 

 

 

 

相手の問題に必要以上に手を出さず、相手がその問題を

解く喜びを奪わない、それも大切な人助けだと思います

 

 

 

 

そもそも、私は人の感情にとても興味があるんです

きっと、それもそれを知ることで自分がどう感じるかを知りたいだけ

だと思いますが…ウッシッシ

 

 

 

 

色々な感情を知りたいので

時々、自分のところにきた生霊さんを感じてみます

(直接不満を言ってくださることはほとんどないので)

ブログの内容について批判されたりしますが

その時に自分はそんなつもりで書いていなければ

私の問題でないのでスルーできますし

ちょっと想いあたることがあれば凹むこともあります揺れるハート

 

 

 

感情大好きなので凹むのも凹んでいる私…萌え~なんですけど目がハート

 

 

 

 

そんな感じで相手の問題と自分をきちんと切り離した上で

相手に自分をみていったら素敵なことにたくさん気付きます

 

 

 

 

人助けって言葉があるけど、結局すべてが相互関係のもとに

あるので、互いに助け合っているわけで人助けって言葉は

適切じゃない

 

 

 

○○してあげるのも、結局は自分のためにやっているので

適切じゃないので必要のない言葉

 

 

 

 

私は○○してあげるという言葉は

自分自身のためには好んで使っています。

自分には使っても、人にはあまり適切だと思わないので使いません。

 

 

 

○○してあげた。って恩着せがましい言葉じゃ

相互関係の元のワンネスとは違うからです

 

 

 

そんな感じで、みんなが自分のために生き、感じていく先に

人と人との相互関係が広がりすべてが繋がっている世界になります

 

 

 

 

私が考えるワンネスはそんな感じです

 

 

 

 

あなたが考えるワンネスはどんなものですか

 

 

 

 

それを感じてみてくださいね揺れるハート

 

 

 

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