自叙伝いのちのキセキより~いのちのしくみ~①

いま、修正している自叙伝から、いのちのしくみをアップします

たぶん、前はちょっと読みづらかったんですが

修正したので、いくらか読みやすくなったと思います

いのちのしくみはメインのテーマなのでこれが理解できたら、

私の自叙伝は読む必要がないと思うんですが

いまいち、ピンと来ない方は自叙伝をいちから読んでいただければ

だいぶ、腑に落ちると思います(超長いですが…)

いのちのキセキ~元精神科ナースの実話に基づく人生を無限大に面白くするいのちのしくみ~

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ここにきて色んなこの世のしくみが分かってきました。

普段、みんなが愛だの光だの神だの表現しているものが、

実は「いのち」そのものだということ。

私たちはただひとつの「いのち」でそのものであること。

地球そのものも、地球上のすべての「いのち」がそこからやってきたこと。

実は生まれたということも、死ぬということも錯覚で、

ずっとその「いのちそのもの」のまま存在し続けていること。

大いなるいのちの源は完全なる調和の中にあります。

なので、そうでないことを知るために肉体を持ち、こ

の世に「生まれる」という形をとったので別れたように感じただけで、

エネルギーとしてはずっとそのままそこにあり続けており、

生まれても別れてもいないこと。

死ぬ時もそうです。ただ肉体を離れるだけでエネルギー的には死んではいない。

生きていた時の経験を持ったまま、

その大いなるいのちの源へ戻っていく。

ただそれだけのことなので、

私達の絶対的な恐怖の対象である「死」すら存在しないこと。 だ

から私たちはいつも共に在り続けています。

過去も未来もなくずっとそこに在り続けています。

そして私達は地球という善悪のある分離の世界を経験するために、

生まれる時に「悪の種」をギフトとしてもらってくると、

その悪の種を司っているルシファーと名乗る存在が言っていました。

ルシファーは自ら名乗ってくれたので、

俗に言う悪魔のルシファーというよりも、

私の中のその部分のような気がしますが、ルシファーが色々と教えてくれました。

愛は傷つかないといいますが、愛そのもので地球に降り立っても、

すべての光の本質が見えてしまうと地球で体験すべく、

苦しみも恐怖も悲しみも分離からくる感情が体験できないので、そ

れを体験するために、悪の種をギフトとしてもらってきているそうです。

この悪の種にあたるのが「有限である肉体」

そして、その一部である「形状記憶合金のように

色んな記憶を再生する思考(脳)」です。

これがあることによって、肉体、思考が

自分のすべてだという誤解が生じます。

幼いころに経験する「自分殺人事件」これにより

神であった自分や当たり前に通じ合えるコミュニオンの状態から

外れ、分離感などさまざまな感情を持つことで

悪の種が芽を出し、思考の中で自我と呼ばれる物を形成して行きます。

悪の芽が育てば育つほど、いのちそのもの…、

神であったという状態からどんどん遠ざかって行きます。

そして本来の個として生まれた時に

ギフトとしてもらって来ている個性を忘れてしまうほどに、

偽りの自分「自我」を膨らませていきました。

そして分離感から来る「分かり合えない」という

絶望、恐怖、悲しみ、恨み、憎しみなど色んな苦しみが

悪の芽から育って行きます。

どんどん悪の芽は成長し、神であった万能感を無くしたことから

劣等感や喪失感を生みます。

その劣等感の裏返しで自分が一番になりたいという

虚栄心、名誉欲、嫉妬、執着など色んな欲望を育てていきます。

そして喪失感から、失うことを過剰に恐れ始め、

本来は大いなるひとつに戻るだけの意味を持つ

肉体の死など失うことを恐れるようになります。

それらの感情エネルギーは身体にカルマとして記憶されていきます。

そして私たちの中心にある、いのちの光が身体を通って

外側の世界に届き自分の身体のエネルギーの状態すべてを

世界というスクリーンに映し出し、自分という世界を見せ続けてくれます。

それもこれもすべては、愛である自分を知るために、

愛でない状態を強く知ろうとするオートプログラムのようです。

以前もお話ししましたが、人生の目的のひとつは神そのもの、

またはいのちそのものである自分を知るために、

あえてたくさんの自分を個として創り出すことで、

自分でない周りの人間を通して、自分を知り続けることにあります。

ずっとすべてはひとつのままいたら、

違いが分からないので自分を知ることもできません。

そして悪の芽がどんどん育つにしたがって集合意識にある、

悪の意識と干渉してどんどん増長します。

なので時として、信じられないような殺戮が起きるようです。

それは分離の時代を生きるためのオートプラグラムでした。  

ちなみに人が悪を恐れるのは、自分も悪の種を持っており

同じような部分があることを無意識に知っているので、

そこになるかも知れない自分をみるから恐れを抱くようです。

悪の種に関することを、ルシファーは親切に答えてくれたので、

悪魔だって言われているのに、親切なんだねって聞いたんですが

「私にあなたが映っているだけなので、

あなたに私(悪)を恐れる心がなければ、

ありのままの存在としての私の役割が伝わるだけです」そう教えてくれました。

以前もお話ししましたが、色々な出来事は外側に起こる出来事が

私達に恐怖などの不快な感情を抱かせるのではなくて、

すべては私達の身体にある色々なエネルギーの記憶が、

不快な出来事を起こしたり、外側に起きた出来事に対して、

身体にあるカルマのエネルギーが干渉して不快な感情を抱くので、

そのエネルギーの元が浄化されていれば、

外側に起こる出来事は気にならなくなります。

私の場合は色々なことに気が付いて自分を解いてきたので、

悪の芽がだいぶ解消されてきており、

集合意識の悪の意識との干渉がほぼなくなってきているので、

それほど恐怖を抱かないようです。

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