☆人に優しく生きること☆

私は優しいと昔からよく言われる

親切だともいわれる

私は優しくしようとおもってやっていないことも多い

看護師していた時も

患者さんから好かれて

他の看護師だと怒られるからと私に言いにくる人も多かった

私は面倒くさがりなので

他の看護師のように面倒くさがりな患者さん達を

ガミガミ叱らなかったし

部屋の整理整頓することや厳しくすることの

価値が分からないから

あんまり言わなかっただけなんだけどね

でもガミガミ怒っている看護師の前だと

不穏になる患者さんも

私には穏やかに話してくれることが多かったし

私の調子が良い時は明らかに患者さん達も落ち着いていた

だから厳しくすることで患者さんのためになるとは

限らないんじゃないかなーと漠然と思っていた

でも優しいだけじゃなくて、

色んな役割の人がいていいんだけどね

いまでも優しいと言われるけど

私は別段なにかをしたわけじゃない

ただ放っているエネルギーが優しいから

何をしても優しく相手が感じるようだ

優しさとは何かをしてあげたという事柄じゃなくて

どうやらありのままの自分を生きている状態であれば

人に自然と優しくなれるし

それが周りにも伝わるんだよね

それが伝わらない人もいるけど

それはありのままの自分を生きるのが怖い人だから

それは相手の問題だから私は知ったこっちゃない

逆に10年以上前にまだまだ苦しかったころは

相手に優しくしたつもりでも

恐がられたことがよくあった

例えば看護学校に入学したての時に

私の席に他の人がすわって後ろの人と話していて

私に気が付いたので

「いいですよ」と優しく譲って

私は廊下の椅子でしばらく過ごしていた

でも後から仲良くなって聞いたら

「あの人、すごく恐い」って私のことを

その場の二人とも思ったらしい

私はTDLで働いていたので

作り笑顔には自信があったので

その時も一応、笑顔だったはずだし

きっと表情の問題じゃなくて

私の心の中の

「邪魔くせーな。どけよ」と思いながら

「いいですよ」いったのがエネルギー的に伝わったんだろう

こんな感じで人は優しくしたつもりでいるけど

全く優しくないことがものすごく多いし

優しいつもりでいるのは本人だけで

だいたい相手に伝わっている

に頭で生きている人に多くて

感覚で生きるようになってから

そういう人の発言が見え見えなので不快でしかたないので

相手にしないようにしている

たとえば私が

「あの人うざい」といったら

「そんなこと言っちゃダメよ。

そんなことしてたら周りに誰もいなくなるから

我慢して仲良くしなきゃ」

なんていう人がいた

本人は自分は優しくて良識があるつもりだと

勘違いしていると思う

だけど私は嫌なもんは嫌だし、

そんなこというあなたとは仲良くしませんと思ったよー

あなたがそうするのは自由だけど

私は私で仲良くする人は自分で決めます。

あなたに言われる筋合いありません。

あなたが友達を失うことを恐れているのに

巻き込まないでくださいって感じかなー

(基本こういう人は周りからいなくなっているんですけど、

時々、再確認のように会う機会がある)

あと自分を生きれていない人によくありがちな

優しいつもりが

自分がいいと思っていることを押し付けること

私も以前はやっていたんですけど

以前、クライアントさんで

不妊治療を受けるという方がいらして

私は子どもを抱いている姿が視えたので

不妊治療をするのは自由だけど

うん十万かかるそうなので

お金がもったいないと話したんですね

結局はその方、不妊治療始めてすぐにすんなり子どもを

授かって無事に出産されたようです

そもそも、この世は、完全に大いなるしくみの元にあるので

神が望まないもの、意味のないものは

この世に存在していないんですね

例えば不妊治療は神の領域を侵すなんて意見もありますが

大間違いで、それすら統治した完全なる世界の元に

この世はあります

人それぞれ人生の計画や方向性があって

不妊治療で産まれたい子どももいれば

不妊治療で子どもを授かる計画をしてきている親もいるわけです

不妊治療だけでは無理だけど

子どもを授かる必要があれば、必ずそれに見合った

情報がその人に入るようになっています

それを自然に授かるのがいいに決まっていると思うのは

完全に人間のエゴでしかなくて

神は色んな自分の側面をみたいし知りたい

だからみんなが同じように

エコ思考で自然派である必要はどこにもなくて

たくさん色んなものがあって

色々と選べる自由もこの世にあるわけです

そんな色んな選択肢がこの世にあることも

ありのままの自分を生きれていれば

人に何かを押し付けるのではなくて

それぞれの選択を尊重してあげらえると思うんです

以前の私はそのことを分かっていなかったので

不妊治療よりも自然に授かることがいいことだなんて

思い違いをしていました

(もちろん自分の意見をいうのは良いですが、この時の

私は不妊治療がこの人には不要だと思い込んでいました)

思いやりを重いヤリと表現していた人がいたけど

相手を思いやらなきゃと思ってすることって

まるで重いヤリのように相手を傷つけることがある

人はそれぞれニーズも方向性も違うので

想いやっても、それがその通り受け取ってくれるとは

限らなくて逆に迷惑なことも多い

看護師をしていたころの話が分かり易いので例にあげると

看護師って仕事の負荷が大きいので

不妊とか子宮系のトラブルがある人が多いんだけど

なまじみんな、医学の知識があるから

子どもがいない同僚を勝手に不妊症だと決めつけて

相手が求めてもないのにアドバイスをしたりして

嫌われている人がいましたねー

私も子どもが欲しいのに、なかなかできないけど

それ以上に自分のいのちの意思を感じているから

それに任せているし、自分なりに色々と解釈していているという

趣旨のことを以前書いたら

こうすれば子どもができる的なアドバイスを勝手にくれる人が

いて、正直、超うざかった

相手に聞かれたらいえばいいと思うんだけど

これってセラピストさん系の人に多いよねー

私、看護師もしてたし、それなりに知識もあるのに

なんだかなーと思うこともあるよ

私も前はやっちゃってたけどねー

自分の所にくるクライアントさんとかには

好きにすればいいけど、そうでない人には

結構、迷惑だし

迷惑なら迷惑なの伝えないと相手は良かれと思って

またいって来るから迷惑連鎖だから

ちゃんと断っているよ

相手が望んでいないのも気がつかずに想いやるよりも

ただ自分がありのままでいるだけで

発する言葉はそれだけで優しいし心地いいんだよねー

いま、ありのままの自分を生きれていて

つくづく思うことは

ありのままの自分を生きれれば

ありのままの相手も認められるようになります

この世には

私は私を生きる

あなたはあなたを生きるという理(ことわり)が

ありますが、それが侵されると感じる時って

自分の中心についていない時なんでしょうね

私も、調子が良くていのちそのものでいる時は

全く気にならずにスルーです

まだまだ私も自分のいのちからズレることもありますが

そういう時は頭で覚えたこうすれば優しいという

違和感だらけの優しさを振りまく人が表れて

言葉だけの愛だの感謝だのを押し付けて

こっちが迷惑がっていることにも気が付かない

うざい人が登場して

それを教えてくれたりします

別にいのちそのものでいるだけが良いという意味じゃなくて

どっちの自分も認めているので、起こることを

ただ感じてます。

いいですか

優しさとは、こうすれば優しいという教えられたものだと

相手はとても違和感を感じことも多いです

いままでの時代はそれで良かったかもしれませんが

これからは自分は良かれと思ってやったのに

相手には、ありがた迷惑ということが

たくさん起こると思います

私はありのままの自分を生きていると

自分と混同することなく

あの人ならきっとこうだろうと何となく察することができて

結果としてそれが喜ばれたりしますし

それが相手に通じなくても、あーそうぐらいにしか思いません

いつも自分がやりたいことをやっているだけで

あんまり相手に良かれと思って行動することはないですが

相手に優しいと感動されるのは

自分に嘘をつかずに、ありのままの自分を認めている状態

それが優しいので、その状態ですることは

自然と自分自身にも相手にも優しいからですよ

逆に自分の価値観を相手に押し付けるのは面倒くさいですねー

これからは頭で教えられた常識的な優しさは通用しなくなります

だからありのままの自分の声を大切に

ありのままの自分を生きてくださいね

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