喜びのカラダへ~思考の支配からの卒業~

本来、脳はカラダから上がって来る情報を

記憶するコンピュータの役割です

本来は本能や感情が先に起こって、

それを言語に変換して理解したり思考して記憶する役割ですが、

いままでの時代は思考が先に起こり、

そこに付随して過去の記憶や感情が

結びつくという逆転現象が起こっていて

これが生き辛さの原因でした ̄m ̄ ふふ

脳は情報を貯蔵する場所なのでそこが優位になると

情報で物事を判断することになるので

感じることを忘れて

頭でっかちな人間になってしまいますし、こうすればこうという

形で物事を判断するようになってしまいます

ですが人は十人十色で物事も千差万別なので

過去のデーターでそれを対応しようとしても

いまの事柄とあっているデーターがあるとは限りません

実際のところ頭のデーターよりも、

カラダが感じる感覚のが遥かに正確です

この逆転現象により、皆さん頭で判断して生きる世界にいるので

色んな誤解が生じています

私が人に相談された時によくお話ししているのは

優しさとは○○をしたら優しいという行動のことじゃなくて

状態だとお伝えしています

私が私でいるという喜びの状態ですることは自然と優しい

人にはそれぞれ役割や個性があって、それを色で例えると

赤の人には赤の優しさが

青の人には青の優しさがありますが

それらを一色単にして

優しさを覚えた形で表現すると

違う色の優しさを押し付ける形になってしまったり

場にそぐわなかったり

自分と違う色の優しさを取り入れたりして、

形ばっかりでなんだか気持ち悪いです

例えば赤の人が青の人に優しくしても

青の人にとっては押しつけがましくて迷惑極まりないし

赤の人にしたら、優しくしてやったのに

どうして感謝しないんだ!となって、互いの良さを殺し合ってしまいます

別にあえて優しくなんてしようとしないで

自分がただしたいことをしていれば

相手がそれを受け取ろうと受けとらなくても気にならないですし

いままでは、自分が見えなくなっていて

自分が何色かも分からないから、相手が何色かも見えませんでしたが

私が私であることを理解していれば

自然と自分と相手の色も見えてくるので

私は青だけど、あの人は赤だから赤いものをあげれば喜ぶわねとか

違いも受け入れられていきます

ここが分からないと

私が赤好きなんだからあんたも赤好きになりなさいよー

青が好きだなんて、赤が好きな私を否定していんでしょ!

という互いに分かり合えない事態に陥りがちです

そうじゃなくて

私は赤が好き あなたは青が好き

もうそれだけでいいんですよ

別に赤が好きな人が、

青が好きな人の気持ちなんか分からなくていい

この世は色んな色があるから楽しいのに

いままでは、互いに色んな色を押し付け合って

ぐちゃぐちゃなウンコ色の世界でした

そもそもこれは人が神である自らを

3次元までディセンションさせた時に

すべてが通じ合うコミュニオンの状態を忘れて

通じ合えないという体験をするために

エネルギーですべてが分かり合えることを忘れるために

言葉をもったことが始まりのようです

エネルギーの世界における私たちは無限の存在でありますし

いままでも頭で理解できないだけで

ずっと私たちはエネルギーを介してやりとりをしていましたが

言葉を介してやりとりすることで

言語を超えた無限の可能性のある

想いやカラダのエネルギーをカラダで感じているのに

気付かずに溜め込んでいました

ちなみにすべてはルーラ(神の遊び)なので良い悪いはないんです

そういうしかけの元に生きて来てました

うちなる自分を封じる自分殺人事件のネックは文字通り

頭とカラダのかけ橋であり、

言葉を発する声帯がある首でした ̄m ̄ ふふ

つづく

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