たまのをのフェイスブックページ
私が作って、主に私が管理をしているんですが
なんせ自宅から遠いので、
他の方にも頼んで、複数の管理人がいます(‘ω’*)♪
店主のビワさんも管理人なんですが
ビワさんは機械物に疎くて、
フェイスブックもほとんど放置している状態でしたが
気付いたら、最近、フェイスブックページにビワさんが書きこんでました(o^ ^o)
せっかくなので転載します(○´∀`○)ノ
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自分を解く。
これは、自分の体の感覚(痛みとか違和感だったりです)を感じて、
それを言葉にしていくことで、
自分を受け取り、自分に分けいっていく方法です。
以前、体の具合が悪いころ、
全てが不調で、どこがどうとかも、
言葉にならない時期を過ごしていましたが、
ある日、腰のところで分かれ、腰が重いと分かった瞬間、
分かれれば分かる、
分かると解る、
解ける、溶けるのを感じました。
自分を分かって、
解いていく、
解ければ溶けていく、
溶けていくことによって自分が癒され解放されていきます。
体の感覚と言葉が合うと、
遇うと、
自分が解放され自由になります。
このことを通して、
言葉の持つ力、
その成り立ちの深い意味に気付かされてきました。
自分を解くことは、
いのちを解ることです。
私自身、自分を解き続けていく中で、
ある時、それら全てがドミノ倒しのように
一つに繋がっていく経験をさせてもらいました。
その一筋が、糸のよう繋がっていった時、
その一筋の糸こそ、いのちを貫いている愛であり、
いのちが愛そのものに意図されていること、
いのちが愛であり
愛は、意図そのものであることを知りました。
このことは、感じる感覚を解く中に知ったことですが、
光透波の世界からも同じ答えが導かれていくようです。
インドでは、糸のことをスートラと言い、
スートラは法を意味する言葉てあることを知った時、
法が、真理であり、真理が愛そのものであることと、全てが一つになりました。
法を箇条書きとしてしか、頭での世界でしか知らなければ、
このいのちの世界が織り成している、不思議と奇跡はわかり得ません。
いのちは、本来、愛そのもの奇跡そのものです。
神そのもの、光そのもの、宇宙そのものです。
いのちがいのちそのものを見たいと、
この奇跡の世界を見、感じたいため、肉体と言う抵抗の世界、
マーヤという世界を通して
真なる(神なる、芯なる、心なる、信なる)世界を観じるため、
そのための仕掛けを造り出したようです。
抵抗を通して輝くいのちを知り続けていくこの仕掛けを造り出したものこそ、
ルシファーかもしれません。
そして、いのちの世界が言葉の世界を証、
言葉の世界がいのちの世界を証て、
やがて全てが一つになるところにたどり着くのを見るとき、
この世界をつくり出し、
この世界を解決していく方法、
それが、
いのちと言葉の関係の中にあるとするなら、
言葉の世界を下ろした神も又
ルシファーなのかもしれません。
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とても深い言葉なので、じっくりと感じながら読むと伝わり易いと思います。
ちなみに光透波というのは 言葉のこと
光透波の勉強会をされている、先生が
時々、たまのをに見えるんです(o^ ^o)
この方に、おとぴ の意味を
音の秘密 秘密は必ず示されると
いう意味を教えてもらいました(○´∀`○)ノ
光透波のこともビワさんが書いていたので
それも転載しますね
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最近、光透波の磯部賢一先生がたまのを訪れお話しをして下さいました。
その世界に足を踏み入れた瞬間見た世界
あいうえお五十音が宇宙であり、
五十音そのものが曼荼羅であり、
五十音そのものがいのちそのものなのだと。
はじめに言葉ありき、ことばは、光とともにあった
この言葉は光透波の世界を知る時、全てをかたってあまりある言葉とも言えます。
かって華厳経に宇宙を感じたことがありましたが、その宇宙の鼓動と息吹きとが、光透波の世界を紐解く時そこにもあります。
言葉の不思議は、自分を解く作業の中でもしばしば感じ、日本語の見事さに感慨無量でした。
体に言葉を当てて、宛てて、充ててゆくことで起こる、興る世界。
この流れの中で、自分を解放、介抱、快方、開放していきます。
心身ともに健やかになれます。
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だそうです。
私は光透波のことはよく知らないので
説明はできませんのでご了承ください。
気になる方はご自分で調べてください。
話を元に戻すと
カラダの感覚を解くには
不調な個所を感じて言葉にすることで
嘘のように不調が消えることがあります
カラダはいつもメッセージを送り続けてくれているんです
法のことが書かれていますが
言葉は内的な感覚があって読むのと、そうでないのと
全く解釈が異なります
おそらくビワさんがいうスートラという法は
内的な感覚がある方が作ったものでしょうが
それを頭で理解すると、形だけの心を伴わない
約束事になり、人と人との争いを生むことになります
本来の法とは人と人とが優しく生き合え活かし合える
約束事のことです(o^ ^o)
あとルシファーのことが書かれてますが
私も以前、ルシファーと名乗る存在から
悪の種のことを教えてもらいましい(‘ω’*)♪
いのちは自らをしるため、個として分かれ
分かり合えない体験をするために
言葉という、外側のコミュニケーションのツールを作った
そしてその言葉を使って、己に戻ることができる
そういうことが書かれているんだと思います(o^ ^o)
ビワさんの記事を読むと
私もまだまだ、いのちを生きれてないなーと思います
でもそれは自己否定的な意味ではなくて
まだまだ自分を、いのちを知ることができる喜びであり
その喜びこそ
いのちを生きる醍醐味なんだろうなーと思います(‘ω’*)♪
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