☆人を見下すこと☆

生きるいると、当たり前のように

人に見下されていると感じたり、逆に見下したりすることがある

ネットをみていても

自分の意見以外は認めないといった感じで

自分以外のやり方をしている人を批判していたりするのを

よく見かける

私はすべては等価値だと思っていて

人の悪口をいったり嫌なものは嫌だというけど

自分の感じたことや

自分の意見をいっているだけで

見下しているわけではない

それでも反射的に見下してしまうことがあって

なんでなんだろうと思うし

逆に見下されていると感じることもあるし

見下しているつもりがなくても

そう感じられたり、目上に思われるのか

下から目線で見られることもある

それで半分寝ている状態の時にカラダに聞いていた

(半分、寝ているぐらいのほうが頭が休んでいるから

会話がしやすい)

過去の出来事を例にあげて

あれって見下されて言われのかなーと

見下されることについて聞いてみた

「相手は見下したつもりはなくて

相手の世界での、あなたのイメージがそうなだけ

あなたが見下されたように感じるのは

あなたが思っているあなたのイメージと違っていたから

でも他の人の世界においては、あなたはわき役であり

その人にとって都合の良い、あなた像が展開されているので

違うのが当たり前で、一致されることはあり得ない。

相手の世界の自分はそういう人間なんだということに

問題がなければ、いちいち反応する必要はなく

不都合があれば、修正すればよい

人にはそれぞれの世界を生きる使命がある。

使命とはいのちの使い方

わたしはわたしの世界を生きる

あなたはあなたの世界をいきる

これがこの世の理(ことわり)

そのため人には

自分を生きるというプライドがインプットされており

自らの世界を無くすことを恐れるし

自らの世界を守るという防御本能を持っている

私というものがきちんと分かっていれば

相手もきちんと理解ができ

相手と自分の違いも理解できる

理解することでそれぞれの違いが活かせる

でも自分像が混乱していたり、見失っている状態では

相手と自分との違いが受け容れられず

自分と違う意見を持つ人に否定された感覚になり

自分の世界を侵略されるような恐れを無意識にもつ

相手の意見から自分の世界を守るために

とっさに自分の正しさを証明しようと

相手を否定し、見下す

だから人を見下すということは悪いことではなくて

自分の世界を守りたいという防御本能であり

わたしはわたしを生きるという理に基づいたプライドからくる

なので誰かを見下した時に

自分が自分の世界を守りたいだけで

相手を攻撃したいわけではないことを知る

わたしの世界では私が正しい

あなたの世界ではあなたが正しいと

それぞれの人の世界においてそれぞれの人が正しい

人によって見えている世界は違うので

自らの正しさを主張してもその先に調和はない

だからそれぞれの世界においてはそれぞれが正しいことも知り

自らの正しさを押し付けて

相手の世界を否定する必要はない

自らの正しさを主張すれば、正しくない存在や

悪が必要になる

だから正しい正しくないを価値基準にして生きるのではなくて

それぞれの人が想うように生きることそれが大切」

そんな感じのことを聞いているうちに寝てしまった(o^ ^o)

人を見下すって一見、嫌なことだけど

自分と違う意見に対して

自分を守ろうとする防御本能だって知ると

それすら愛おしく思えるなーって思ってたら

ライブデザインメゾット の堀内さんがフェイスブック

書いていてくださった記事がイムリーだった( ̄▽ ̄)

(堀内さんはお会いしたことがないのですが

記事がシンクロすることがたびたびあってびっくりです。

私と同じような情報を違った視点で記事にしてくださるから

すごく勉強になります。とくに男性性・女性性の記事はおススメで

公式ブログ からご覧になれますよー)

以下、転載(o^ ^o)

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スピリチュアル的ななにかを探求して、経済面、生活面、人間関係でうまく行っていない方。

現実世界バリバリで何かを得ても満たされない方。

多くの場合、その状況の解決を“すでに受け入れている世界” の法則ややり方で解決しようとします。

お金のブロックのヒーリングを受けたり、宇宙に豊かさを願ったり、ワクワクするようなことしかやらなくなったり、『全ては上手くいっています。私は感謝します。』とか、アファメーションを毎日唱えたり(笑)、徳を宇宙に貯めるべく善行をしまくったり、豊かさを引き寄せようとポジティブな波動に心を整えたり・・・・

逆に、現実世界しか見ていない方は、満たされるために、豪華マンションや高級車など形あるもので証明しようとしたり、刹那的なセックスにハマったり、人脈を増やすためにあちこちのコミュニティに行って名刺交換しまくったり・・・・

スピリチュアルに変な形で傾倒している方も、目に見える世界にしか幸せを見出せない方も、自分の世界観の枠組みのみで、全てを得ようとします。

例えば、お金を稼ぐためには、やるべきことがあります。ルールもあります。やるべきことをやらなければ、当然お金は入ってきません。

でも、『現実世界の人』を見下している方はそれができません。

なぜなら、自分も見下している人と同類になってしまうからです。見下している人と同じことをするとプライドが許せない、みっともないからすることができません。

現実世界しか信じない方は、やはり目に見えない世界の話や、考え方、それを大切にする人を見下します。

見下しているから、心の平安や幸せ、本当の意味での豊かな感覚を得ることができません。

同じようにプライドが邪魔をして『あいつらは、現実的にうまくいってから、ものを言え』と、やはり耳を貸しません。

どうすればいいのかと言えば、全てを『自分の世界』の中に入れてしまうのです。

いま、見えているもの、考え方、出来事、飛び込んできたこと、情報を一度は

『あり得るのかも知れない』

『少なくとも、それを真実と感じている人はいるのかも』

と、フラットに入れてみるのです。

好き嫌いの感情とは別に、一度それがあり得る世界、存在する世界を受け入れてみるのです。

受け入れると、好きか嫌いかも分かります。

もし『それは、ない』『馬鹿馬鹿しい』と、なかったことにしてしまうと、あなたの世界ではないことになってしまうのです。

まず、馬鹿にする、見下す、判断する前にあなたの中に受け入れてみる。

すると、あなたの中に拒絶感が湧いてくる可能性があります。

その拒絶感は、あなたがこの世界で閉ざしている何かに繋がっている可能性があります。

その場合には、あなたが自ら閉ざしている可能性の扉であるということです。

その扉を開けば開くほど、あなたの中で世界は分離しなくなっていきます。分離がなくなればなくなるほどに、あらゆるものに真理とリアルを感じることができるようになります。

そうなればなるほど、あなたはこの世界のあらゆる領域を楽しめるようになるのです。

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確かに堀内さんの記事にあるように

スピリチュアルな人も現実世界に生きる人も

互いが互いを見下し、バカにし合っている

でもそれすらも自らの世界を守るためのものであることというしくみを知れば

警戒心が和らぐので

興味はなくても、相手の世界が存在することに対して

むやみやたらと毛嫌いするのではなくて

自分はそういう世界に興味はないけど

そういう世界があってもいいかもねって

相手の存在を認めてあげることができるかも知れないですね。

そうしたらまた違った優しい世界が展開されるのかも

知れないなって思いました(○´∀`○)ノ

今週の日曜日です(o^ ^o) まだ残席あるので良かったらどうぞー

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1 COMMENT

Fです。♪

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おとぴさん、ありがとう。
うん、うん、そーなんですね。
ちょっとご無沙汰してて、久々におとぴさんの文章を読んだら、
ホンワカ幸せになりました。
人を見下す、自分の世界を守りたいだけ…。
それがわかれば、自分も相手にもOKが出せますね。
ほんと、良いこと教えてもらいました。
ありがとう。(^_^)

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