カラダには
幾重にも、いのちのしかけがある
肉体の、へそのをから、らせんを描いて
いのちの源につながり
いのちのエネルギーはへそのををつたって
へそから小腸(たぶん空腸)へ流れ込む
そして子宮は
すべてのいのちが育まれているいのちの源と繋がっている
いのちの源が固定化されずに
絶えず変化し続けているように
人間のカラダのエネルギー的な役割も実は固定化されていない
これまでの時代においては
陰陽を分け、役割を固定化されてきた
陰陽の陰とはいのちの影
人が本来の自分を見失い隠したためにできた
本来のいのちには陰陽はなく
陰、陽と固定化された役割ではなくて
すべてが両方の役割を兼ね備えており
移り変わっている
この世のひとつの陰陽として
男女の違いがあるが
女性らしさ、男性らしさも
千差万別であって
固定化された女性らしさなどというものは存在しない
ただひとつあるのは
その人らしさであって
それは性差によるものではない
すべての人は女性性、男性性を同じように持っており
肉体的な役割の違い以外は
エネルギー的な違いはなく
あるのはそれぞれの個性だけである
ありのままの自らの生き始めると
陰陽の縛りから超えて行く
決して陰陽があることがいけないわけではないし
陰陽はなくなるわけではないし
まだまだ陰陽の世界も続くが
そういった両極や落差の世界から
外れたところにある深みを味わえるようになる
人は隠された自分自身に激しく恋をして
再び手に入れようと闇雲にあがいていた
隠されていた自らが明らかになったら
闇雲に恋をするのではなくて
ありのままの自分に恋焦がれ
その愛おしさを深めて行くことになる
これまでは、ありのままの自らを再び手に入れるために
無くした部分を想起させる相手と恋愛するケースが多かった
自らを知ることは喜びであるし
ありのままの自分を知っても知っても
いのちはとてもとても深いものなので
自分を知りつくすということは永遠にないので
相手を通して自らを知ることはまだまだ続くだろうが
これからの恋愛は性を超えて多様化していくと思う
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