☆おとぴ家出するの巻☆

なんか最近、子どものころの記憶が浮上しやすいみたいですね

おとぴは週末ダーリンとケンカして半日ほど家出して来ました

きっかけは些細なことで

完全に子どものころに追体験なんだなーって感じですね

いままでプチ家出しても

一時間ぐらいだったので半日は記録更新です(笑)

簡単に説明すると

わたしが掃除が苦手なことなんです

その時は掃除してたんですけど

わたしは物をどけて、掃除機かけないので

「掃除してないじゃないか」

「したよ」のやりとりから始まりました

これ小さいころからずっとやっているやりとりなんですよね

わたしは母や姉にいわせると

何にも気にしない性格らしく

怒られても、いうこと聞かなかったんですね

だから母は余計に怒って

お尻を叩いたりされたんですけど

わたしお尻を叩かれても、たいして恐くも痛くもないから

平気でケロッとしてたので

母はムキになって叩いて全力で叩いて手が痛くなるらしく

(それでも、わたしは平気でした)

よく掃除機の棒とか、ハタキとかで叩かれましたねー

さすがにそれは痛くて、いうこと聞きましたけど

いま、考えるとすげーうたれ強さだなって思います(´∀`;A

そのころの想いのカケラが何か残ってて

こういった追体験が起こるんだと思います

面白いのが、ダーリンに怒られると

当時、子どもだから表現しきれなかった想いが

口からでてくるんですよ

「怒って、わたしを従えようとするならば

わたしは絶対にいうことを聞かない。

怒るだけ無駄。怒るのは逆効果だよ

わたしが片付けたくなるような、納得できる理由を言って」

「こんなに散らかってたら、みっともないじゃないか」

「こんなことをみっともないと思っている。

あんたがみっともない」

そのうち手が出る勢いで怒りだすんだけど

「怒ろうが殴ろうが、わたしは絶対に屈さない。

もし殴るのなら、50倍にして返してやるから」

本当にわたし、強くなったなーというか

子どものころはこんなに強かったんだー

やっとその当時のわたしになれたなーって感じなんですが

去年ぐらいまでは、ケンカすると

悲しくなって涙がでてきたんですけど

今回はでなかったんです。

あの涙って怒られたことや、

ケンカしたことが悲しかったんじゃなくて

自分の気持ちをうまく表現できないことが

悲しかったんだと気が付きました

世間的には掃除する人のほうが正しいでしょうけど

そんなことは知ったこっちゃない

やりたくないものはやりたくない

そもそも、わたしには掃除のセンスがないので

散らかっていても気にならないから

気になる人がやればいい

そんな感じですよー

そんなやりとりで腹が立って半日ぐらいプチ家出したんですけど

悲しいとかじゃなくて

気持ちはフリーダムで

どこに旅行行こうかなーって

むしろワクワクしたんですよねー

結局、半日ぐらいして

いま、ダーリンが出掛けていていないって

なんだか知らないけど閃いて

荷物を取りに帰ったら

実際に出掛けてたんですけど、

途中で帰ってきたので、なんだかんだで和解して

あっという間に、いつもどおりに仲良しです(o^ ^o)

途中から子どもの時の追体験だなーって

気が付いていたので

ダーリンはあくまで感情を引き出すのを

手伝ってくれただけなので

全く根にもってないです

わたしがわたしの気持ちに納得できれば

彼の行動はどーでもいい

そういえば、プチ家出中に

ふと思いついて氏神様にお参りに行ったんです

神社をお参りする時って

自然と

「いつもありがとうございます。わたしは幸せです」か

「愛しています」って言葉が出てくるんですけど

この時もそう思って祈っていたら

「本当に幸せなんですか。困ってはいないですか。」

と声が聞こえて来たので

「困っているといえば、家出中なので

困っているような…いないような

でも、それでもわたしは幸せです。」

「困るというのは、駒がまわるということです。

それによって人生が動く。だからどんどん困ってください」

そう教えてもらいました。

どうやら困った時に、蛇口をひねるように

より硬くすることもできれば、解放することもできるらしい

困るということは、自分自身の何かブロックに当たるということ

そういう時は周りの状況に翻弄されて

より硬くなることもできるし

逆に自分を感じて、自分にその体験を返していくとで

より自分を開くこともできるので

困ることをどんどん活かしていけば、

どんどん人生を動かせるそうです(o^ ^o)

それで次の日は川越祭り

たまのをがこっそりカフェ営業を

しているというので行く約束をしていたんです

夜になると、たまのをの近くにある

札の辻交差点で山車がたくさん集まるらしく

かなり絶好のロケーションらしいんです

それなのに

朝から頭が痛くて、気持ち悪くて吐いてたんです

よっぽど行くのやめようとおもったけど

どうしても行きたくて困ってたんですけど

「カラダが辛い時に

自分のカラダを労わることも自分を大切にすることですけど、

自分の想いをつらぬくことも自分を大切にすることですよ。

だから行っても行かなくても、どっちでもいいですよ。

自分の想いを大切にしてくださいね。」

と聞こえたので

行こうと思い立って、

ダーリンと川越まつりに行ってきました。

不思議と行くと決めたら

何とかなるもので、無事にたまのをまでたどり着けて

そのころには治っていたので

ビワさん達に、気持ち悪かったけど来ましたーって行ったら

「最近のエネルギーは深いところをゆさぶるので

子どものころのことが浮上してくるのよねー」って言ってました。

それで頭が痛いのは

「この世への強い抵抗感」

気持ちが悪いのは

「どうしたらいいのか分からない」ってことだと

イリアさんに教えてもらいました。

それで、分かったんですけど

小さいころのわたしはこの世への強い抵抗感があって

でも、どうしたらいいのか分からない

自分を生きれていない

大人達に対して

いうことを聞かないこと

屈しないことで

その生き方は違うよって

子どもなりに

一生懸命、表現していて

その思い癖が残ってたんだなーって思いました。

わたしにとってとても大切な主張が根っこにあったので

片付けに関しては

どんな解放を行っても、治らなかったのは

これでなんだろうなって思いました。

小さいわたしが

たまたま違うよって

大人に対して表現したのがが片付けだっただけですね

そんなに無理やり片づけをしたからって

幸せになれるわけじゃない

むしろ楽しく遊んでいて

喜びそのものの状態だったのに

無理やり、型にはめられたのが嫌だったでしょうね

みんなを愛しているから

もっと幸せによりよく生きて欲しくて

そんなことを強制しても幸せになれないよって

小さいわたしは一所懸命表現していたみたいです

そのことが分かったら

「分かってくれてありがとう」ってみぞおちのほうから

温かいものが込み上げてきました(‘ω’*)♪

いのちそのものの感覚が分かって

深みに降りれば降りるほど

ほぼすべての人が感覚に当たっておらず

形だけでいきてるのが、まじまじと分かって

とても気持ち悪くて、堪らなくて

小さな子どもはこんな感覚で生きているのかっていうのが

まじまじと分かって、恐怖におののきました

子どもなりに、何とかしようっているんでしょうね

しかもいまのわたしは

それを表現できますが

子どもはできないから、そりゃ泣くわって思いました(´∀`;A

でもそれも人生のしかけなので

それが悪い訳じゃないですよー

こういう話をすると

自分の子どもに嫌な想いをさせないようにって

親心が働くようですが

嫌な想いをさせてしまうのを恐れて過剰に怯えるよりも

いつかそれを乗り越えれることができると

見守ってあげれることのがほうが大切かと思いますし、

子どもに過剰に心配をするよりも

自分自身の想いを分かってあげることのが重要です

親がありのままの自分を生きれていれば

子どもはそれだけで幸せですよ

わたしは、いま心から喜びが感じられるから

こういった経験ができて本当に良かったって思ってます ̄m ̄ ふふ

しかも、昨日は母親がいきなり来て

うちのお片づけをしていってくれたので

おうちがだいぶ片付きました。

母親が来たのは2カ月ぶりぐらいですが

相変わらずタイミングばっちりでありがたいわ(* ̄∇ ̄)ノ

 

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川越祭りにて

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