☆たまのをお話会12/7 だんなが超ケチなんです編①☆

次は旦那さんが超ケチだったけど

わたしのブログをみて、

自分を少し許してみたら、旦那さんが変わられたというお話

そんなにケチな旦那なら結婚しなければいいのにって

思われるかもしれませんが

自分が何か気付くために必要なので

結婚前までは、そんなにケチじゃなかったりとか

違和感を感じても、見過ごせてたりとか

なんだかんだで結婚しちゃうんですね

それで結婚して、色んな問題に直面する

でもこの文章を読んでいくと分かりますけど

本当は旦那がケチなのが問題なのではなくて、

そうさせる自分の思い込みがあって

それの結果が旦那がケチという状態を作り出して

自分を見せてくれています

だから問題が起こることや

相手が悪いわけじゃなくて、

相手を通して自分を見ているだけなんです

それぞれの方のエネルギーの状態によって

起こっていることは違うので

同じように旦那さんがケチだとしても

その人にとっては違う状態の現れのこともあって

人それぞれ違いますが、こんな感じで自分の思い込みが

現れるんだって言うのをご参考までにご覧ください(‘ω’*)♪

長いので何回かに分けますね

参B)参加者Bさん

ビ)ビワさん

イ)イリアさん

お)おとぴ

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参B)おとぴさんのブログを読んで

自分の気持ちが外の世界に反映されるっていうのが

すごく腑に落ちて、それまで旦那が超ケチで、

例えば水族館に行っても、入場料は自分で出せとか。

私も仕事してるんですよ。

保育園に入れる時も、私が払えって言われて、

払ってくださいって言ったら、金の亡者とか言われて、

すごいとんでもない旦那と結婚してしまったと思ったんですけど、

おとぴさんのブログを見て、

もしかして私、自分で、自分のこと許してなかったのかも?って思って、

ちょっと許すようなことを、自分で考えていたら、

旦那が普通にお金とか出してくれるようになって、基本ケチなんですよ。

基本はケチなんですけど、

外食に行っても私の分は出したがらないみたいな。

でも、それが普通に出してくれるようになって。

これ、だからおとぴさん効果だわ。みたいな思ってるんですけど。

なんか、おとぴさんのブログの中でも触れたと思うんですけど、

なんか政治とか原発とかには興味ないってあったんですけど、

たとえば大きい問題というのか、

自分の中ではどう関わるものなんだろうとか、自分が変われば、

それがどう変わるんだろうというのが、私の中のずっと疑問で。

ビ)そういう意味では、いろんな問題があるけれども、

私の中では最終的には一人一人が自分を知る、

自分というものを愛して、自分の中に平和な状態で生きることが出来れば、

やがてその平和が表に現れるんだなっていう。

人は何がいい、悪いかって争うでしょ?

いいとか悪いとかって言っても、確かにいいことであっても、

争いあってしまうと実は違う物になってしまう。

正しいからっていって勝ったわけじゃないんですよ。

だって大切なのは正しい世界を、どうやってみんなで享受して、

楽しむかっていうことじゃないですか。

ところが頭の世界っていうのはいつも怯えてる。

あ、そう頭の世界っていうのは、

実はなぜ出来るかって言ったら、怯えでしかできないんですよ。

お)恐怖と怯えね

ビ)うん。いのちそのものは、別に解放されてれば、そのまんまわかるわけですよ。

あ、こんなことしたら、この人困るだろうなとか、そういう風に。

頭の世界はそうじゃないわけですよね。

こうでなければならないっていう。

箇条書きの世界っていうのは、ものすごく自由がないんですね。

だからよく、話に出すのは、おばあちゃんに席を譲りましょうっていう、

おばあちゃんに席を譲るのはいいことだっていう、

そのいいことだっていうもとにね、いろんなことをやっていった時に、

席を譲って怒られたっていう、

おばあちゃん扱いしてって、なんかおかしいでしょ。

だから、そういう風に箇条書きにすればするほど、

いったいこれが何なんだろうって言う世界があって、

そのなかで、かえっていろんな問題が起こってしまうんですよね。

そういう風にして、人が制約されればされるほど、

人は感覚をつかわない、わからない人間になってしまう。

お)妖怪、妖怪

ビ)どんどん妖怪の道を進んでいくんですけど。

ところが、本来のいのちっていう柔らかい感覚の中で生きてたら、

別に若い人だって誰だっていいんですよ、別に。

この人疲れてるな、とかって思ったら、

別にスッて代わればいいじゃないですか。

ところが、残念ながら、感じる世界を失ってる。

で、他人が生きてる世界が、なんなのか?っていうことを考えようとしてない。

ってことなんですよ。

そのためにいろんな、人をないがしろにするようなやり方をしてるんで、

それでまあ最終的に、おばあちゃんには席を譲りましょう、とか、

体の不自由な人には席を譲りましょうとかって言うけれども、

本当に問題なのは、まあ別にそういう体が不自由な方でも元気な人だっているし、

筋トレやってるような人だっているんですよ。

さまざまな人がいるんだけれども、その代わってあげるっていう優しさをもつ、

相手を感じてあげるっていう世界が、頭の世界になればなるほどなくなる。

相手を感じるんじゃなくて、相手に自分がどうジャッジされるか?

このことに怯えながら生きてるってことですよね。

当然、それと同じように自分も相手を見た時に、

自分も頭のジャッジの中でしか、

人を見れなくなってる、この世界が不自由なんです。

そして決して誰も幸せになれないんですよねってことなんです。

だとするならば、本来のいのちの柔らかさを自分が取り戻す。

だから、その原発のことも、もちろん、いろいろ問題はあるにしてもね、

それを本気でやろうと思ったら、

まず自分といういのちが感じられるいのちになって、

このいのちを幸せに受け止めることが出来る自分になった時に、周りが変わってくる。

それが繋がっていけばいいんですねっていう、それが一番早いんです。

お前はこうしなければいけないという風にして、

そして切り刻まれたいのちの中では、

決して本来の所にはたどり着かないってことですよね。

これはなかなか深いっていうか、広範囲な話しでね、

自分にたどり着く過程のなかで、これしかないんだなって、

私自身もたどり着いたものなんだけれども。

参B)外の世界に働きかけるっていうのは結局、

ムダっていうか労力ばかりかかるような気がして。

ビ)対処療法っていうのはね、

あくまでも基本的な所には戻らないっていうか、

結局またどこかにひずみが出来るんですよね。

例えば、原水爆禁止運動とかってね、広島のあれでずーっとあって、

あなた達はまだ生まれてないかもしれないけど。

40年近く昔のことだから。

その頃に、原水爆禁止運動って、要するに原爆はいけない、

やめましょうって言ってる、このこと自体はすごくいいでしょ?

そういう団体がいくつかあるんですよ。

ところが、そういう団体が、どこのグループが

イニシアチブをとるかっていうことで、骨肉の争いをしてて、

だから、人間のやることがそれが限界じゃないけど、

そこまでみんなが平和であってほしいと願ってる人たちが、

そうやって集まってるのに、その世界がこうなるとしたならば、

どこにいったい救いがあるんだろうか?っていうのが私の疑問だったのずっと。

お)戦争反対!って戦ってるのね(笑)

ビ)散々いろんなね、トップに立ってる人達が、

ちゃんとした人達に変わればいいって、いろんなことを考えたんだけど。

いざ戦争になりそうになったらね、

その人殺してみたらどうだろうかじゃないけど、

そこまで思ったけど、結局変わらないんですよ。

そのことでまた争いあう世界が出来上がっちゃう。

これもあなた達には知らない世界でしょうけど、学生運動とかってそうなんですよ。

それこそ、ベトナム戦争反対じゃないけど、戦争はいけないって言う人たちの間で、

もう、それこそ殺人が起こるような内ゲバをやるわけですよ。

これが人間が表に仕掛けていく限界なんですよね。

結局、自分の中を平和にしない限りは、決して外側は平和にならないとするならば、

外側のことなんか、かまってる場合じゃないんです。

この自分を幸せにしてくださいって話なんです。

参B)ありがとうございました

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②へ続く

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