①の続き
それで逆行エネルギーのお陰か
忘れてた過去の記憶が浮上しやすいみたいで
特に頭が忙しかった
10年ぐらい前のことを
思い出すきっかけが何度かあって
思い出していたんです
10年前って言うと、30歳頃で
前回、結婚したころです
このころです
実家に母親を送って行ったら
父親が片づけした時に、当時のパスポートが出て来たそうで
見せてくれました。
てっきり前夫との別居の時に無くしたものだと思ってました
いまと全然、顔つきが違います
いま、考えるとそのころ限界マックスだったんですね
たぶんわたしだけじゃなくて
色んな方にも共通するんだと思うのでシェアしますけど
人は自分自身の内的感覚を3歳、10歳頃
自ら殺すように失うって何度も書いてきましたけど
それでも10代の思春期のころは
なんとなく内的感覚が残っているんですね
わたしも思春期のころ、苦しかったけど
絵を描くことが好きだったり
マンガだったり、ゲームだったり
夢中になってできることが色々あって多趣味なほうだったんです
それで20歳前後で
社会にはまっていくことによって自分を更に失うんです
社会に出て働くことで色んな常識を身につけますし
色んな人の色んな話を聞いて、学習して行くわけです
わたしは自分が他の人と違うという劣等感が強かったので
わたしなりに、まっとうな人間になろう
気が利く人になろうとか色んな努力をしたんですね
いま、考えると常識なんて、ケースバイケースだし
絶対的なものじゃないのに、
人間関係が当たり障りがないように
一生懸命学習してました
色んな人が色んな悪口とか文句を言ってるのを聞いて
こういうことはしちゃいけないんだって学習してました
でも、それもいつも同じ方法が通じる訳じゃなくて
臨機応変さが必要だし、それぞれの人によって違うのに、
とにかく当たり障りになく過ごそうと
いっぱい覚え込んでがんじがらめになっていきました
頭で色んなことを覚え込んで、ただただそれをこなしていくことは
本当はその都度、色んなことを感じている自分がいるのに
それを感じないように自分を殺すことになるなんて
全く考えてなかったのです
ただただ生き辛かったので
少しでも生き易くなるかと思って、覚え込んで行ったんですが
頭ガチガチになっていって
20代になってから、好きだった絵を描くことも
マンガ読むことも楽しくなくなって徐々に離れて行ったんです
たぶんわたしみたいに元々、感覚が良くて、どこかでそれを失わずに
生きている人にとって、頭で考える外側の世界をこなす生き方って
とても苦しくて、30歳ぐらいで限界みたいで
感覚の良さを消すために、余計に色んなことを覚え込んで
頭ガチガチなるようですね
それで30歳ぐらいになってきたら
人と話していても、頭ガチガチのせいで
当たり障りのないことしかいえなくて
人と話していても、ぎこちなくて楽しくなさ過ぎました
苦しさゆえに、方向転換できればいいんですけど
それをしないで、さらに社会に巻き込まれる生き方を選んでいくと
ますます頭が固くなって、融通が利かなるみたいです
社会に巻き込まれる経験が長ければ長いほど
感覚を失っていくので、
頭で覚えた生き方だけで生きれるようになっていきます
頭だけで生きる生き方って形だけで
優しくないので、誰も幸せにできないですけどね
でもその生き方しか知らないので、
そうせざるを得なかったので仕方ないです
それでね
30歳ぐらいのころ、何が限界だったかというと
色んなことにがんじがらめになり過ぎて
本当に些細なことに過敏になってたんです
前にも言ったと思うけど
頭で覚え込んだことをこなす生き方って
本当は感じている
色んな感覚を消していくことになるので
とても偏ったものの見方になるんですね
例えて言うならば、アタック25のパネルのように
まだらにしか全体が見えない
全体が見えていれば、恐くないものでも
部分的にしか見えないと、
何が出てくるんだか分からなくて、おっかないでしょ
だからいつも見えない陰に怯えて暮らすことになる
③へ続く
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