最近、拒絶に関する記事とか書いたけど
結局のところ、すべては自分の中に
その感覚があるから起こる(‘ω’*)♪
人って拒絶されることとか
人から責められることに対して敏感だけど
なぜかっていうと、その感覚が自分の中にあるから
拒絶にしても、責める感覚にしても
人それぞれで、千差万別であって
それぞれの人、独自のものがある
責める感覚ひとつにしたって
人を責める感覚
人から責められる感覚ってあるけど
これは同じ責めるという感覚が
内に向かったか、外に向かったという
違いだけで、同じ感覚
責められてる感覚がある人は
別に相手は責めているつもりじゃなくて
普通に会話していても、
責められているように感じるから
いつもどこか怯えて暮らすことになる
逆に人を責める感覚がある人は
相手はそんなつもりがなくても
何でも悪く受け取って、すぐキレやすかったりする
でも、すべては相互作用の元に成り立つから
責められる感覚の人
責める感覚の人 両方いて成り立つ
それは内に向かうか外に向かうかの違いだけだから
時には入れ替わることもある
責めるにもそれぞれ独自の人の感覚があるから
この人は責めたくなるけど、この人は成らなかったり
責める感覚が共鳴する人同士で起こる
どこから、責めるが始まったかというと
母親から責められた感覚かもしれないし
自分の中で自分自身を責め続けている感覚かもしれない
だから、すべては自分の中にその感覚があるから起こるので
その責めてしまう自分を分かって受け容れてあげることから始まる
責める感覚が増長すると
いつも自分を監視しているような感じになって
自分が何か粗相をしてしまうと
誰も責めてなくても、自分が責めてしまうから
いつも気を緩められなくて、苦しい
拒絶に関しても同じこと
自分の中にその感覚があるから起こる
もしかしたら自分が拒絶されていると思い込んでいるだけで
相手は拒絶してないこともあるし
拒絶される感覚が強くある人は
拒絶しそうな人のそばに好んでいることもある
すべては感覚あるから
その出来事が起こる
だから何か困ったことがあった時に
その出来事に関して
イラだったり、激怒するのは自由だし
そうやって感情を出すことも大切だけど
それを出しきったら
自分の中にどんな感覚があるか探ってみるのも大切
何かを守りたい感覚があるのを感じたら
何を守りたいんだろう…って自分の想いを分かってあげる
何かを奪われる感覚があるのを感じたら
何を奪われるのが嫌なんだろう…
時間?お金?自由?それとも…
って自分の本心を感じて分かってあげる
否定されているように感じて苦しくなったら
その感覚を感じてみる
人は否定されるとつい、相手を責めてしまうけど
本当に否定しているのは、自分自身じゃないかな
自分の中にその感覚がなければ
仮に誰かに否定されても苦しくならないよ
ちなみに誰かを否定したくなるのも同じ
否定という感覚が自分の中にあるから
そうやって繰り返して
自分の感覚に目を向けてあげられるようになっていくと
とても楽になっていく
すべては自分の中にあるということはこういうこと
すべては感覚から始まる
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