☆3歳のトラウマ~人が傷つけあう理由~☆

☆3歳のトラウマ☆のつづき

赤ちゃんって、人として完全な感覚で産まれてくるわけですよ

でも、それを生きられないって

強く思い込んでしまうこと

そうしてこの世ができあがったわけです

どうしてそれを生きれないかって強く思い込むかって言うと

単純に母親の拒絶感だったり、怒りだったり

時には暴力振るわれたり

色んな感情もキツイですけど

もう、自分を生きれていない人のエネルギーって

いのちそのもののエネルギーからみたら

本当に気色悪くて気持ち悪いんです

子どもを愛しているっていっても

もちろん純粋な愛情もあるでしょうけど

多くは、愛着、執着なわけですよ

そういった気食悪さを感じながらも

母親のことを愛しているから

日々、一生懸命

どうにかしようとしてくれているんだと思います

大人がやっていることを

それ違うんだよっていいたくて

いうことを聞かなかったり、

それこそ色んな努力をしていきますが

大人は頭で覚えた常識の世界に生きているので

通じないだけじゃなくて

エネルギー的に威圧されたり、

殺されるような感覚を何度も経験して耐えきれず

最終的には自ら自分を殺してします

最終的には殺されたんじゃなくて

エネルギー的な感覚を感じなくするように

自分で自分を殺します

実際に怒ったり、暴力を振るわなくても

怒りを我慢している人のエネルギーって

ものすごくビリビリして痛かったりするんですよ

怒りを我慢し過ぎて、怒りが分からなくなって人が多いので

わたしはそんなことないって思う方いるでしょうけど

そういう方の方が、すんげー不気味なエネルギー放ってます

いのちそのものの子どもからしたら

不気味なエネルギーを放っていない大人なんて

滅多にいないと思います

それこそ聖者クラスですねー

わたし、ひとりアドバンスに便乗して

その感覚を追体験しましたが

(エネルギー的に威圧されて)息ができない感じ

(エネルギー的に)首を絞められるような感じ

(エネルギー的に)首根っこをつかまれて自由を奪われる感じ

(エネルギー的に)背中に何カ所も剣のようなものが刺さった感じ

執着のざわざわするような気食悪いエネルギー

そんなので「殺されるー」って騒いだり

「てめーばばぁ、許さねーぶっ殺す」って

向かって行こうとしたり、何度も何度も繰り返して

徐々に諦めて行くようです

あくまでわたしが思い出しているのは感覚なので、

赤ちゃんがそういう風に思っているわけではなくて

赤ちゃんが感じている感覚を言葉にするなら、

こういう感じなわけです

性格にもよって

何も言えずにじーっと耐えているタイプの人もいますし

睨みつけるように、じっと相手を見続ける人もいます

ありがたいことに、わたしと

ひとりアドバンスの方の感覚が似ていたので

そのトラウマが一気に浮上したんです

何度やられても、諦めずに

とことん相手に向かっていったのを思い出しました

「いのちを生きる」

その決意は一度でばっさり殺されて諦めるようなものじゃないんです

何度も何度も気が遠くなるほど、

繰り返し向かって行って結局、諦めてしまう

どうやら、3歳頃までは

見えない存在(小人さん)が一緒にいて

ずっと励ましてくれているらしいんです

繰り返し向かって行って

その度に傷付いて、感覚を潰していくうちに

話しができなくなって行くようです

たぶん3歳で内的に自分を殺すころに

小人さんと話しが出来なくなるようで

自分を無くしたショックと

何でも分かってくれる大切な存在を無くした

喪失感を味わうみたいです

小人さんは、話しができなくなっただけで

ずっと一緒にいてくれたんですけどね

それで、自分殺人事件の感覚を思い出したら

色んな記憶をフラッシュバックのように思い出したんです

イライラしている感じの母の顔

いまの母の顔じゃなくて、若いころの母の顔

写真以外では忘れてたけど、

ハッキリと若いころ母の顔を思い出した

なんか般若みたいな顔で、母が怒っている姿

「もう言うこと聞くから、ぶたないで!!」って

頭を抱えて、うずくまって涙が止まらなくなったり

母がなんでイライラしているか分からなくて

今日は、お母さんイライラしてないかなって

様子を伺って話しかけたこと

時々、機嫌の良い日があって、その時は

それだけで跳び上がるぐらい嬉しかったこと

それで、色々と分かった

甥たちが小さいころ姉は怒ると

あの般若のような母と同じ感覚で甥を叩いていた

わたしは甥が叩かれるのをみるのが

いたたまれなくて、見るたび、いつもかばっていたけど

自分のトラウマが刺激されるから

あんなにいたたまれなかったんだって気が付いた

だって、怒っている理由がいつも大したことなくて

ご飯をちゃんと座って食べないとか

その程度のことで、怒鳴るほどのことでも

叩くほどのことでもなかった

そのころには精神科で働いたけど

患者さんだって、よっぽど不穏じゃなければ

ちゃんと座ってご飯食べるんだから

子どものうちに、多少ちゃんと座って食べない時期があったって

そのうちちゃんと座って食べるようになると思うの

それに座ってご飯食べないぐらいで死にゃーしないしって思うのね

でも、甥たちとずっと一日一緒にいると楽しいのもあるけど

息が詰まる感じもして、つい手をあげてしまう気持ちになるのも

分からなくなかった…

でも、いま思うと息が詰まりそうな想いをしていたのは

甥たちだったんだね。

気付かなくって、ごめんね。

下の甥は、時々、自分の顔を自分で叩いてたり

苦しそうにしているのに気が付いていたけど

それが何なのか、当時のわたしは分からなかったんだ。

ビワさん達に、子どもを産む前に気付いて良かったわねー

やられた感覚があるうちは、必ず子どもができた時に

やり返すのよーって言われたけど

本当にその通りだった

姉は母の感覚のままに、甥を叩いていた

思えば、20歳頃姉によく暴力を振るわれてたけど

あの感覚も、母に手をあげられた時の感覚と全く同じだった

わたしの中に、叩かれた恐怖の感覚があるから

その記憶が再生されたのもあるんだと思う

3歳、10歳で自分殺人事件を起こすっていったけど

他にもその呪縛が強くでる時期があるみたいで

それが、たぶん思春期と20歳前後だと思う

前にいのちを生きれないと潰した人間は

それをまだ生きようとしている人をみると

それでは生きていけないと感じて

無意識に潰しに入るみたいと話したけど

3歳前後、10歳前後で起こる

いじめもそういうことが原因で

同年代で潰し合いをするみたい

たぶん自分殺人事件って

一気に自分を殺すというよりも徐々に徐々に

諦めて行くんだと思うのね

戦争とか大きなトラウマのある人は

一気に自分を殺す場合もあると思うけど

いまの時代は徐々に徐々に諦めるんだと思う

思春期に自分殺人事件の呪縛がかかるのは

第二次性徴で、性エネルギーが強まるのに伴って

トラウマが刺激されるんだと思う

性のエネルギーはいのちのエネルギーそのものだからね

わたしも思春期には、くそばばぁっていって

よく反抗したし、親を殺したいぐらいに思ったこともあったよ

口で反抗してただけだけどね

よくビワさんが被害者は必ず加害者になるっていうけど

やられたら、人は必ずやり返すらしい

それは手をあげた、あげてないとか

そういう問題じゃなくて口に出さなくても

手をあげなくても、そういう感覚を持てば

エネルギー的に相手を傷つけることになるから

同じなんだよ

よく人に、エネルギーの剣が刺さっていることがある

自分で刺したものもあるだろうし、

人からのもあるよ

そうやって人は傷つけあっている

たぶん思春期に親殺しとか

色んな事件は

自分殺人事件の復讐芯から生まれるんだろうなって思う

それと、20歳の呪縛だけど

大人になるに伴って

社会というこの世がかかって来る

あれほど、憎み嫌っていた

この世に染まらなければいけない苦しみで

殺人事件の追体験のような出来事が起こる人がいるの

わたしが20歳頃に姉にやたらと殴られてたのは

その追体験だったんだと思う

ただテレビ観ているだけで

あんたの顔みてると頭にくるのよとか

本当に意味不明な理由でよく叩かれたからね

姉が電話待ちをしている時に

わたしに電話がかかってきて

電話機を叩きつけられたりとか

なんでわたしが悪くないのに

暴力を振るわれないといけないのって感じのことが多かった

でも、いま思うと子どもの頃

母親にぶたれたのも、わたしにとっては

それぐらいどうでもいい理由だったんだろうね

子どもの頃も、なんで怒られるのか意味不明だった

母が忙しくて、大変だったのもあるだろうけど

ビワさんがいう通り、反射的なものなんだろうね

潰された自分の痛みがとっさにでてくるんだろうね

だって大人になってからの母は全然、短気じゃないもの

この3歳のトラウマに向き合うのは本当に怖くて

それこそ気が狂いそうな想いで閉ざしてしまった

その想いが浮上してくるから、そうとう強い決意がいるのよ

自叙伝にもふたつの殺人事件がでてきたり

患者さんでも、殺人を犯した人にけっこう遭ったし

わたしの人生のある時期から

なぜか殺人という言葉がついてまわったけど

色んな人の自分殺人事件をみてきた追体験なんだと思う

過去のきちんと昇華されていない感情は

同じような感覚を味わう追体験で解消される

自主的にワークとかで味わうこともできるし

何かそのような感覚を味わうような出来事が起きた時に

その感覚から逃げずに、ちゃんと感じてあげれば昇華されていく

自叙伝を書いた後に、幼馴染が冤罪の可能性が高いって知って

続きを書くのが恐くて、恐くて

無意識に避けていたら

気付けば2年経っちゃったけど

それがあったから、自分と向き合い続けることができた

本当だったら逃げ出したいぐらい恐かった

それぐらい、自分殺人事件の痛みを超えるのは

恐いことなのよ

でもね。色んなことを思い出したけど

母も姉も恨んでいないよ。大好きだよ。

そういうこの世のしくみの中にみんな生きているだけだから

でも、もうそうやって傷つけあうのはやめようよ

生きれないって、自らを潰したままにするのもやめよう

その痛み故に、人は人を蔑み、嫌い、恨み、争う

そんなことをしていても、誰も幸せにならないよ

わたしは必ずここを超える

そして誰よりも幸せでありつづけて

自分を生きたいと願う人たちの道しるべでありたいと思うんだ

☆6月のおとぴ祭りのお知らせ☆

☆たまのをワークアドバンスについて☆

1 COMMENT

かずみ

SECRET: 0
PASS:
素敵なシェアをありがとうございました。
最後に綴られたおとぴさんの決意に
身震いするような迫力を感じました。
みんなで幸せになるために
わたしもわたしの魂の声に耳を傾けながら
生きていきたいと思います。

返信する

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です