無意識に反応するカラダ
これが、いかに自分を縛りつけているか
だいぶ気付けるようになってきた
今月は、極力、人と接触しないようにしている
ダーリンと母親は別
母親には今月はまだ会ってないけどね
なぜって、あの二人は人の世にあまり生きてない
当たり前にほとんどの人が人の世に巻き込まれている
わたしは、それらを見ると無意識に反応して
イラ立ち疲れてしまう
あの二人の無垢さに触れると、
それだけで何もいらないと思えるぐらい癒される
わたしにとって大切な二人があまりにもピュアだから
他の人の人の世のやり方が、きわだって見えて
それが不自然だって気付ける
あまりにも当たり前に人の世がはびこっているので
あの二人がいてくれなかったら、不自然さに気付けなかった
でも絶対数でいえば、人の世のやり方をしている人がほとんどだ。
でも、感覚を消しているうちは気付けなかったけど
分かれば分かるほど、人の世のやり方って不快で仕方ない
でも、そうではない二人といると、
まるで自然や動物に触れた時みたいに癒されるから
これが本来の人の姿なのかもしれないって思える
そうはいっても、あの二人でも
気付いてないだけで、まだまだ恐怖の縛りがあるので、
人は無限の伸び幅があるのかも知れないって思うし
きっと人が完全に癒されたのなら
どんな自然よりも、強力な癒しを
発することができるのかも知れないと思う
昨日、ダーリンの研究所にダーリンの姪御さんとお友達数人と
父兄が数人、職業インタビューという夏休みの宿題のためにやってきた
そこで、「人が仕事をするのは何のためだと思いますか」って
質問に、ダーリンは
「楽しいから。
…(数秒考えて)あと、生きるためかな」って当たり前のように即答してた
この質問をされて、楽しいからって当たり前のように
答えられる人がどれだけいるんだろうって思った
そう答えられるダーリンはとても幸せな人だと思った
人の世のやり方をするほとんどの人は
純粋な楽しさよりも、
何よりもお金を稼ぐためとか、生活を便利にするため
とかそういう返事をするだろう
ワクワクする生き方をしましょうとか
実践している人たちがたくさんいるから
そういう人は楽しいからって答えるかもしれない
彼はそんなことをしなくても、天然でやっているから
ワクワクしようとしてやっている人たちとは
いうことが全く違うからびっくりする
ワクワクしようとしている人たちは
嫌なことはやらないとかいうけど
彼はそんなことはいわない
職業インタビューの他の質問で
職業をどうやって選べばいいかって聞かれて
「深く考えないこと。
人はこの仕事は自分に合ってるとか
合ってないとか深く考え過ぎる
まったくもって、それは無駄
そんなことをしてたら何もできなくなる
そんなことを考える暇があったら、とにかくやってみる
やっていれば、どんな仕事でも必ず楽しくなって来る」
って答えていて
本当にすごいなって思いますし
純粋に彼のことを尊敬しています
もちろん職業適性ってあると思いますけど
彼のようにワクワクしている状態が先にあると
ワクワクしようとしなくても、何でも楽しめるんですよね
でも、彼が特別なわけじゃなくて
子どもってまさにそんな感じだと思うんです
でも、そんな子どもがなんでワクワクを忘れてしまうかというと
人の世に巻き込まれてしまうからだと思うんです
人の世に巻き込まれることって
いのちそのものの感覚だと苦しくて堪らないので
本当に人の感性も感覚も狂わせて、訳が分からなくさせる
だから本当はワクワクしている状態が当たり前にあるのが
本来の姿だって忘れて
人はワクワクしようとすることから始めてしまう
でも、そのやり方って無理があるので
必ずどこかで行き詰るようにできています
人は知らず知らずのうちに人の世に巻き込まれ
人の世のやり方を踏襲して、それをこなしている
わたしも知らず知らずのうちに巻き込まれ
そのことにも気が付かず、
訳も分からず、必死でそれをこなしていた
だけど、わたしは漠然と人の世が嘘臭いことに
ずっと気が付いていたので
人の世アレルギーもすごくて
人の世のやりかたをする人をみると
無条件で腹が立ってくる
でも、前は腹が立っていることも見ないようにして
自分もそれをやっていた
だから、人に対しても、自分に対しても憤りがものすごいある
やっとそのことを、この夏休みで少しずつ摑まえられるようになった
このことを書こうとするとカラダが固まって
うまく動かない
本当は烈火のごとく怒っているのに
かたまって見ないようにしていたみたい
でも、これって無意識の癖みたいなものなので
自分では気付けない
そのことに気が付かないでいたら
人の世に腹を立てていることにも気が付かないで
ただカラダが無意識に反応して
人の世のやり方をやっている人をみると
我を忘れて腹を立ててしまっていた
そして、腹を立てて徹底的に相手を潰そうとしてしまっていた
実際に相手にいうこともあるけども
それ以上に自分の中で我も忘れて怒ることが
よくあったんだけど
そのパターンがだいぶ分かってきた
こういう時の腹の立て方って
本当に反射とか反応なんだなーって感じ
我を忘れて、とことんやりたくなる
ゆうべもゴキブリを例に出したけど
わたしはゴキブリが苦手じゃないから
よく分からないけど
ちょうど、ゆうべダーリンがゴキブリを見つけて
追いかけまわして、いたんだけど
すっげー、憎悪というか恐怖というか緊張感というか
そういうのがぐっちゃぐっちゃな感じで
すっごい剣幕で、殺しているのにびびった
そういう感じの反応
いま、考えると
2度にわたってフェイスブックのお友達を整理
させていただきましたけど
あの衝動も突然だったし、それをせずにはいられなかったのは
こういう反応なんだと思う
整理させていただいた人たちって
ほとんどスピ系の人だけど
スピ系の人の方が、豊かさだなんだって
人の世の成功を求めている人が多い気がするよ
仕方ないよね
ちょっと前に某スピリチュアル雑誌に
覚醒した人一覧が載ってたけど
一部の聖者さんみたいな人以外は
みんな外側をみて生きている人ばかりで
驚いたんだけど、まだまだスピリチュアルも
内なる外が主流だから
そういうのがいいと勘違いする人が多いんだと思う
それが悪いっていうんじゃなくて
それを求めたいなら、求めればいいと思うの
ただ何がムカつくかって言うと
わたしはそういう完全に人の世に巻き込まれて外側を向いているのに
内側を生きているつもりになっている人に反応してしまうのね
振り返るとそれに疲れたんたんだろうなーって思う
フェイスブックでお友達を整理した中には
個人的には大好きな人も何人もいたんだけど
自分の中を整理するためには必要だったんだと思う
なんか、静かな時間をもてたことで
そういうことも冷静に振り返れるようになってきた
つづく
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