☆世代の意味~ゼロとインディゴの争い~☆

それで、昨日は優位性の証明と

マンティングシリーズ①~③を書いたけど

結局のところ、誰かより優位に立つ必要もないし

自分を証明する必要もない

自分で自分が当たり前に認められていれば

別に外側の承認なんてどちらでも良い

結果として、人から認められることはあっても

それを目的として動こうとは思わない

結局、内的に満ちていればいいんだけど

どうしても多くの人は外側に証明を求める形しか

しらないから、仮に内的に満ちることがあっても

それを外側に証明しようと、内的体験を外側の物にしてしまう

わたし、こんな体験しました!

満たされました!

そこに

(わたし、すごいでしょ)

含みながらね

どうしても、劣等感だったり

それまでの欠けていた想いが強いと

それを内的体験に留めないで、誰かにそれがすごいって

証明して欲しくなるのよねー

でも、体験自体は確かなものだとしても

それを外側に証明しようとした時点で

それは違うものになっているの

わたし、前から不思議で仕方なかったの

たくさん覚醒したと言われる人と会って来たけど

その多くの人が、完全に外側を向いているのよ

前に、スピリチュアル系の雑誌に

覚醒した人が一覧が載ってて

一部の聖者さん以外、完全に外側を向いてて

びっくりしたって書いたけど

何らか知らの、目覚めのような体験をしたんだろうけど

なぜか、そこに載っているほとんどの人が

人の世に君臨しようとしていてね

せっかくの体験を、内的ないのちを活かすために使わないで

外側の世界をこなすために使おうとしているの

なんなんだろうなーって思ったんだけど

結局のところ、色んな感覚の癖だったり傷から

認めさせてやるとか

見せつけてやるとか

乗りやがってやるとか

そういう風になりがちよね

本人達に自覚があるか分からないけど

少なくてもわたしにはそう見える

親子関係だったり、兄弟だったり

育ってきた経過でついた癖というか

やられた感覚が強すぎるんだと思うの

やられた感覚は必ずやりかえそうとするからね

もう時代は変わったから

どこかで、多くの人がもっている癖を

変えて行かないといけないのよ

世界を変えるために、時代のしかけがあってね

わたしがよく世代の話しをしているけど

はっきりと明確には区別できないし

グラデーションのように移行しているから

わたしの表現も多少前後すると思うけど

だいたい1950年代生まれの人ぐらいまでは

前時代の枠にはまる、3G(義務、犠牲、我慢)の世代

1960年代生まれの人はゼロの世代

1975年ぐらいからインディゴが強くなるんだけど

だいたい前後に染みだしているし

その年々で、特色があるみたいで

わたしと同じ1974年生まれは、寅年だからか

インディゴの傾向が強い人が多いよね

わたしの3,4歳上の人はゼロの傾向が強い人が多いし

わたしと同じ年や、下の人でもゼロっぽい人がいるから

明確には分けられない

イオニアと呼ばれている人もいるしね

それで、インディゴも前期と後期で

だいぶ特徴が違うよねー

それで、1995年ぐらいから

クリスタルの子たちが増えてくるの

クリスタルの子たちは、インディゴと違って

やられてもやりかえさないのが特徴よねー

ただ、純粋な彼らからしたら

人の世は意味不明過ぎて、

ものすごく恐怖は抱えているだろうけどね

それでね、この時代の流れにも意味があるのよ

わたしがよく感覚が良いって、表現をするけど

本来、すべての人が感覚が良いはずなのよ

もちろんそれぞれの個性があるから

全く同じに感覚が良いわけではないと思うけど

時代に流れているエネルギーであったり

親子関係や、色んな背景で、感覚を潰して来て

結果として、思考が優位になったりするの

潰れ方ってそれぞれで、本来の感覚のままでなんか

とても生きていけない

それこそおぞましすぎて、気がおかしくなるから

結果として、頭のおかしい人になるか

苦しすぎて自殺するだろうね

全く潰れてない人って、それこそ聖者とかみたいな人じゃないと

いないと思う

やっぱり親子間で、潰れるものは多いと思う

親は良かれと思って、人の世にはめようとしてくるからね

子どもも親に見捨てられたら生きていけないから

親の期待に答えようと、親から愛されようと必死だから

仕方ないけどね

返って、親が早くに亡くなっている人の方が

変に潰れてない人もいるし、

でも、その淋しさで思いっきり道を外す人もいるから

一概にはいえない

ちなみにわたしの場合は、うちの母親が子どもの頃に

母親を亡くしているからなのか

わたしに変な執着をかけてこなかったから

潰れずに済んだものが大きかったのかなと思う

でも、その分、他の人が感じないようなことまで

感じてしまって苦しかったし

それぞれの人に必要なことが起こっているから

どれが良くて、どれが悪いとはいえないけどね

それで、人は本来の感覚の良さを

頭を必死で働かすことでごまかすの

わたし、子どものころから夜の闇が恐くて

豆電球つけないと眠れなかったんだけど

いま、思うとあれって

闇が怖かったんじゃなくて

真っ暗になって何も見えないと

感覚をごまかすことができなくなって

嫌でもカラダの感覚が浮き上がってくるからなのよね

それでね

いま、だいたい60代前後以上の3Gの世代は

頭で覚え込んだ常識を生きている世代

感覚の良さを、枠にはめることで潰してしまった世代なのね

それで、いまだいたい50代前後のゼロの人たちぐらいから

枠にはめる縛りが徐々に緩くなってきたのね

だから上の世代に比べて感覚が良い人が多いの

でも、同時にゼロの人たちは

日本が豊かになって来て、

たくさん物を与えられて育ってもいるのね

物=愛情みたいなところがある上に

バブルも経験していて

アッシー、メッシーじゃないけど

人を物のように扱う傾向があるよね

ゼロの人たちは人の世そのものであり

人の世の縮図のような人たちでもあるの

前に話した、マンティングもこの世代の人たち

ものすごくする

人の世に君臨して、なんぼの世代よね

ゼロのことを細かく話し始めると

長くなるので、そのうちまた話すけど

このゼロの人たちに

ものすごくやられてきたのが、インディゴの人たちなの

まさにわたしがそうなんだけど、

インディゴの前期に生まれた人は特にやられまくってるよね

それでねー

インディゴの人たちは、戦士の気質を持っているから

やられたらやりかえそうとするのよ

マンティングされたら、しかえしたり

それで、気付けばインディゴの人たちも人の世に

巻き込まれて、ゼロっぽくなったインディゴの人

たくさんいるよ

でも、これが意味深くってね

人の世を変えるためには

何が問題なのか、それを露わにしないといけない

人の世を露わにして、変えて行くのって

ものすごい恐怖なわけよ

なんで、巨人に襲われたような恐怖に

耐えきれず、感覚を消してきたわけだから

あのものすごい意思の強さを持っている

インディゴたちでも、ズタボロになるぐらい

でも、それぐらい追い詰められて

やっぱりなにがなんでも、この世を変えようって

思えるぐらいのチカラがないと無理なんだと思うの

わたし、ゼロの人たちにとことんやられ過ぎて

ゼロの人を前にすると感覚が無くなるし

このゼロとインディゴの争いの話しを

書くのも超恐怖だったし、

いまも手が震えているんだけど

いまとなっては、

ここまでインディゴたちを追い詰めてくれるために

ゼロの人たちがいるんだなーと思う

ゼロの人たちは、時間の連続性や

物事の整合性がない人が多いけど

エネルギーには敏感だから

もし時代が動いたら、

嘘のようにそれにすんなり乗って来ると思う

まるで、前からわたしそうだったわよぐらいの感じで

インディゴの人は、前時代と、これからの時代の橋渡しなの

だからね、もし世界を本気で変えたいと願うのであれば

上の世代の人の生き方を参考にしないで欲しいの

すべてを無視しろってわけではなくて

上の世代の人だって優しい人はいるし、

素敵なところだってある

だけど、なんでもかんでも素直に鵜呑みにしないで

いつの間にか、上の世代の人の人の世そのものの生き方に、

巻き込まれている自分に気付いて欲しい

やられたら、やりかえす

その想いを外ではなくて、うちに向けた欲しいの

やりかえしているうちは、同じ穴のムジナだと気付いて

同じ土俵で争わないで欲しい

これまで、長年かけて培ってきた生き方を

すぐに変えられるわけではないから

ひとつ、ひとつ徐々に変えて行けばいい

そうやって、気付く人が少しでも増えることで

世界が変わっていくんだと思う

怖くて、ガクブルなので

ちょっと支離滅裂ですが、この辺で~

1 COMMENT

はなこ

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はじめまして。
とても興味深く読ませていただきました。
うまく表現できないのですが、自分のなかのぼんやりとしていた感覚に光がさしてほっとしているところがあります。
私自身は、1970年生まれですので、ゼロのあたりになってくるのでしょうね。
また、この辺りのお話がいつか読めるのを楽しみにしています。
ありがとうございました。

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