☆旧世代番外編~認知症の不思議~☆

☆緊張から弛緩へ☆~しなやかに生きる遊びのある時代へ~

☆旧世代☆~遮眼帯をつけている人たち~

そうそう

これも時々、聞かれるからいつか書こうと思ってた認知症の話

ひとことに認知症っていっても

アルツハイマー認知症

脳血管性認知症

レビー小体型認知症

ピック病

って大きく4種類あるし

それぞれに脳の変性の仕方も違えば

症状もまったく違う

レビー小体やピックは他の精神疾患

誤診されることも多いみたいだし

アルツハイマーだけでも

十人十色、千差万別だと思うのね

だから疾患そのもののとか

脳の変性のことはおいておいて

純粋にエネルギーのことだけ考えてみた場合

認知症って

ひとつに

頭で覚えた箇条書きが容量越えした時とか

例えば旦那さんが超やかましいとか

直視したくない現実がある時とか

外側を生きる生き方をやめて

本来の内的感覚に戻ろうとする本能

こんな感覚のどれかがある時に起こる気がするの

そうはいっても認知症の介護はすごく大変だと思う

認知症病棟で勤めてた時に

入院したてとか、落ち着かない患者さんが

複数いるときなんか

芸能人の囲み取材かってぐらい

ナースステーションを出てから

患者さんに囲まれるようにたかられて

それぞれの訴えを丁寧に聞いて安心してもらっても

5分も経たないうちに同じことを聞いてくるからね

それを何十回もやっていると

目的の場所にたどりつけなくて

もう勘弁してって気になったし

あれが家だったら大変だろうなーって思う

しかもさー、何も分かってない人から

上辺だけの正論をいわれたりして腹が立つこともあったよ

例えばさー

こういうのをシェアしている人にむかついたり

こっちはせいいっぱいやっている

周りのスタッフだって、たまにキツイ口調の人もいたけど

基本的に看護師は過重労働だし

上に書いたみたいに、思うように仕事が進まないことも多いから

そうなってしまう、気持ちも分からなくないのよ

ただでさえいっぱいいっぱいの人に

そうやって罪悪感を植え付けて

これ以上、負荷をかけないでくれって思った

ご自宅で介護されている方も同じだと思うの

そういう人に向けてただ頑張るんじゃなくて

もしかしたら、互いに楽になれるかもしれないと思って

わたしが経験した認知症の不思議な話をお伝えします

************************

ダーリンの家に住み着いてから

2~3カ月だけ、週に2日だけ

グループホーム訪問看護で行くバイトをしていた

何カ所かのグループホームに週に1回、半日ずつ行くバイ

ある日、これから訪問する

グループホームの前を歩いていたら

ふと気配を感じた

見上げると、2階の窓から女性の利用者さんが

満面の笑みで、わたしに手を振っていたので

わたしも振り返した

その後、訪問したら介護士さんが驚いた様子で

その利用者さんが

突然、窓に向かってかけていって

手を振り出した

いままで、そんなことしたことがなかったから

誰かに手を振っていることに驚いて

てっきり家族でも来たのかと思ったら

窓の外にわたしがいたそうな

確かにその利用者さんは、80代ぐらいだったと思うけど

全く意思の疎通ができず

問いかけには、意味不明な返答しか返って来ない人だった

でも、きっと元々の性格は優しい人だったんだろうなって

分かる感じの方だった

週に一度しかいかないわたしでも

何度か家族の面会を見かけたことがあって

とても家族に大切にされているんだろうなーって

印象をもっていた

その後、各利用者さんの健康チェックをして回っていて

その利用者さんの番の時にスタッフさんが

「○○さんはお豆腐屋さんだったのよね」って話しかけたので

わたしが

「お豆腐屋さんだったんですか、じゃあ、朝が早くて大変でしたね」

そう話しかけたら

「そうなの。朝は3時起きだったの。」

そう答えてくれたら

周りにいたスタッフがみんな、話しが通じたことに

ものすごく驚いていたことがあって

その時は、へーって感じだったけど

病院で勤めてた時も、他の人は通じないけど、わたしだと通じることがあったり

わたしが落ち着いていると

患者さんも落ち着いていたりすることがあったので

これもそういうのの一環なのかなって思いつつも不思議だった。

そうそう、話しは変わるけど

看護学生の実習で植物状態の人を受け持ったんだけど

なんとなく、あれ?この人、話し通じている気がするって思って

頬に手を当てながら話しかけたり、色々、試してたら

わたしが話しかけると、

明らかにパチパチとまばたきをするようになった人がいたの

認知症もそうだけど、植物状態の人も、精神疾患の患者さんも

すごくエネルギーに敏感な人が多い気がする

人は本来、エネルギーの存在だけど

頭で感じているものをかき消していることも多いけど

そういう疾患になったら、常識的なことが外れる分

色んなことを感じやすいのかもしれないと思う

たぶんね、上に書いた認知症の女性も

なんらかしら感じていたんだと思う

外にわたしが歩いているのを感じ取ったのも

感覚で分かったんだと思う

たぶん、わたしに他の人と違うものを感じてくれてたのかもしれない

話しが通じたのも

頭だけじゃなくて、感覚的に響いたから通じたのかも

あくまでわたしが個人的に思っている仮説だけど

もしそうだとしたら

介護する側の人間が内的に生きれるようになったら

対応がずいぶん、変わるかもしれない

内的に生きることで、介護する方もすごく楽になれるし

互いに楽なのよ

どうしても頭で考えて生きていると

些細な間違いを気にして

認知症が悪化したとか思ってしまうけど

さすがに、火事になったりとか

身の危険が及ぶようなことはちゃんと管理したほうがいいけど

バカボンじゃないけど

例え西から登ったお日様が

東に沈んだって、別に良いのよ

もしかしたらそれぐらい常識って疑わしいものかもしれないし

学者とかじゃなければ、別にそういう間違いに

ピリピリしなくてもいいと思うの

もっと気楽に生きて

それぐらい気軽に構えることができたら

認知症の人たちの症状も変わってくるかもしれない

バカボンぐらいの気楽さが

この世代の人たちには必要だと思う

もしかしたら一足先に、

認知症の人たちはバカボンの世界に行ってるのかもしれないなーって思う

追記

あー、そうだ

内的感覚に生きると

現実的に疎くなることがあって

どうも感覚の世界と現実の世界って拮抗するところあってね

わたしも感覚に集中してるときは、文字が書けなくなったりするし

ビワさんも、ワークの後は五千円と一万円の区別がつかなくなってたよー

認知症には、もしかしたらそういう面もあるのかもしれないねー

メリクリ&年忘れおとぴ祭り

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ゲーセンでコマさんゲットして

どや顔してる、おとぴ

ついでにクッションもとれたけど、よく知らないキャラだった

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