☆ゼロの世代番外編~思春期の葛藤、尾崎が闘っていたもの~②☆

☆緊張から弛緩へ☆~しなやかに生きる遊びのある時代へ~

それで尾崎の話しだけど

こちらから画像をお借りしました

少し前に尾崎を聞きまくってた時期があったのね

思春期のわたしが何に憤ってたか知りたくて

いやー、尾崎はすごい!

よく尾崎は人の世のことを「世間」とか「街」って表現して

いるけど、まさに人の世に飲み込まれないように

必死で生きていた感じがするの

俺は背中に感じる本当の心ってやつを

by.禁猟区

って歌詞があるけど

まさに本当に自分って背中で感じるんだけど

背中って10歳の自分殺人事件の時に

大きなシートをかぶるように感覚を覆って隠してしまうの

背中側って自分の背景であったり

自分を取り巻く環境を表しているんだけど

10歳の自分殺人事件で社会との関わりに置ける癖をつけるって

前に言ったけど

本来、人は背中を中心に全身でエネルギー的に色んなことを感じるの

それを感じないようにして

色々と社会におけるルールを箇条書きで覚え始めるわけ

だから背中を感じることって

その無くした自分の痛みであったり、

自分が人の世にはまった猛烈な気持ち悪さを感じるから

ものすごく苦しいことなのに

尾崎はそれを忘れずに感じてたなんて

そりゃ麻薬をやらなきゃ生きていけないはずだわって思った

もちろん麻薬をやってはダメだけど

本来の感覚をなくさないままに

人の世を生きることは、それぐらい苦しいことなのよ

この歌詞は禁猟区って色んなドラックに関することを

歌った歌なのがまさに皮肉だなーって思う

こんな世界じゃまともになれないって歌っているけど

それぐらい、人の世はおぞましく見えたんだと思う

でも、尾崎の時代にはそれを生きるのが無理すぎて

早くに亡くなってしまったけど

いまは時代が変わった

多少の痛みは伴うけど、本来の感覚を生きれる時代になった

尾崎も、ゼロの人だからどこか舞台にあがった感じで

自分の世界に浸って生きている感じも多少はあるけど

彼がひたすら、演じ続けながらも、求め続けたのは

真実の愛

だと思う

真実の愛とは

自分を生きることでもあるからね

尾崎はひたすら自分に問いかけ続けたんだと思う

放熱への証」て最後のアルバムって、

持ってたけどあまり聞いたことがなくて

断捨離した時に捨てちゃったから

ツタヤで借りて聞いたんだけど

優しい陽射しって曲で

答えは育むものだと気付くって言っているのね

前に、わたしがいのちの目的ってなんだろうって

考えてた時に、

「いのちを育み育てることです」っていわれて

すごく感動したんだけど

答えもそうだと思うの

答えもひとつじゃなくて、成長と共に変わっていくと思うの

尾崎はそれを歌っていて

でも、同時に当時は、人と人とが生き合えない

互いに育めない時代だったから

そこまで分かっていたら、生きるのがそうとう苦しかったと思う

あと、後期の曲だと贖罪について歌っている曲が多いんだけど

たぶん薬物に対して罪を感じていたんじゃないと思うの

人は本来、いのちそのものの自分を生きると決めて来ているので

それを捨てて、人の世にはまって生きることは

ある意味、ものすごい罪なのよ

尾崎はそれをどこかで感じて、償い続けてあがいていたんだと思う

③へ続く

メリクリ&年忘れおとぴ祭り

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です