☆許し合うことと、この支配からの卒業①☆

卒業シーズンですね

 

ってことで、尾崎の卒業

 

こーの支配からの卒業 闘いからの卒業

 

この支配からの卒業

 

これね。とても重要なテーマなんですよ。

わたしも含めほとんどの人にとって

何らか知らからの支配を受けている

 

国家とかそういうでかい規模のことは

正直、わたしはよく分からないし、気にならないのね

 

 

わたしがよくいうように、すべてはエネルギーでできているし

すべては感覚なんですね

 

 

支配されている感覚

 

支配してしまう感覚

 

 

これってやっぱり根本は母親との関係性の上で

その感覚の素ができあがるわけですよ

 

 

だから、それを分かれば

仮に他の何かに支配されているような状況下でも

それが問題ではなくなる

 

 

いつも言ってますけど、それが悪いというわけではない

いままでの時代はそういう時代であったから

そうであったのは当たり前のことだった

 

 

ただ、いまは、時代が変化しているから

そういう感覚のもとではとても生き辛く、苦しく感じるようになった

 

 

だから、そういった自分の違和感に気付いていく必要があるの

 

 

 

(連絡網)来週、たまのをワークプレミアムがありますが

それに参加する方たちにとっても重要なテーマだと思うので

熟読してみてくだされ

 

 

わたし、ここ半年ぐらい気をつけていた感覚があってね

 

ひとことでいえば、人をコントロールしようとする感覚

される感覚なのね

 

人は基本的に、されたことは

無意識にし返してしまうから

それのベクトルが内に向かうか外に向かうかの違いだけで

同じ感覚の元で起こるのね

 

 

こういった感覚があると

人に対して納得いかないことがあると

 

相手に自分の意見を分からせようとしてしまう

 

相手をどうにかしようとする

 

自分のほうが正しいと相手に証明しようとしたり

見せつけようとしますね

 

 

ちょっと前に、確定申告でテンパっている時に

「ほら、言ったでしょ」って頭の中から声が聞こえたって

言ったけど、これもそういう一環だと思うの

 

 

前からダーリンに

時々、それを言っている自分にすごく違和感があってね

 

 

それって、裏を返せば

 

「ほら、わたしのいうことを聞かないと、こういう目に遭うのよ」

 

っていうコントロールの感覚なの

 

これって、相手だけじゃなくて

自分にも向かうと思うんだけど

こういう自分や人をコントロールしたい感覚が

人の中に根深くあるから、引き寄せの法則とかで

自分の人生を意のままにしようとすることが

流行るんじゃないかと思うの

 

 

でもね、いつもいっているように

物事は必要で起こるの

 

 

それに大前提として

わたしたちは、この世には成功体験をしに来たわけじゃない

 

 

肉体を持って、生きるという経験をするため

 

自分を知るため

 

愛し、愛され、愛し合う体験をするために

 

わたしたちは産まれてきたの

 

 

そういった経験の中では失敗も含めて

すべてが喜びであるから

成功だけが好まれるのは、

こういった支配の感覚によるコントロールによって

成功だけが良いもの、失敗してはいけないっていう

強い思い込みがほとんどの人にかかっているからだと思うのね

 

 

こういった感覚がいかに人の感覚を狂わせるか

 

本来の柔らかさを失わせて、緊張させるか

 

 

そうして頑なになることで

ありのままの自分でいられなくなり

そしてさらに緊張して悪循環におちいる

 

 

人はやわらかいありのままの状態でいれば

それだけで、幸せなんですよ

 

 

そして、いつもいっているように

必要なことは閃くし

自分が忘れていれば、誰かが自然と助けてくれる

 

 

もし仮に何か失敗しても

それを経験として、互いに喜びあえる

(くやしがってはいけないという意味じゃないですよ。それを含めてすべてが喜びなんです)

 

そんな柔らかい状態でいると

例え転んでも、怪我が軽くするむというか苦にならないんです

 

 

でも、人は過度に緊張して

転ばないように転ばないようにしているから

普段から怖くてしかたないし、

実際に転んだ時に、緊張感から余計に怪我をする

 

 

想像してみてください

柔らかい、スポンジが転んだって怪我しないけど

カチカチにかたまっているものが、転ぶと壊れるんですよ

 

 

人はそうやって、本来柔らかい心を

どんどん硬くし悪循環に陥っています

 

 

そして、同時に、母親は子どもを所有するんですね。

 

別に所有物ってもの扱いするわけではなく、

子どもを育てるにあたって、自分の子どもとして所有し、保護するんです

 

ただ、だいたいの母性において保護的な所有ではなくて、

独占欲的な所有の元で育てられている。

 

 

だけど、子どもは親の愛情を切望するから

何かで愛情の不足を感じた時に相手を独占したくなったり

逆に独占されたくなります

 

こうした独占したいという所有の感覚と

相手を支配したいという感覚って結びつきが強いことが多いので

子どもは親からの所有、支配を愛情と勘違い
しやすく

相手をコントロールすること、されることが愛情だと錯覚して

受け容れてしまっているケースがとても多いです

 

 

そうして人はさらに緊張し頑なさを強めて行きます

 

そうした感覚が人との間において

相手を自分の思い通りにしたくなったり

どうにかしたくなりますし

 

 

逆に思い通りにされて来た人は

それぐらい自分で判断してってことでも

自分で判断できなかったりします

 

 

ただ、そういう自分で判断できない人でも

判断できないのは

自分より立場が上だと判断した人に対してであって

例えば子どもとか自分より、立場が下だと判断する人に対しては

相手をコントロールしようとしています

 

 

そういて、この世は

いうことを聞かせる人と、聞かされる人という

支配と従属でできあがりました

 

 

 

 

 

 

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