☆感覚が見せてくれるもの☆

時々ね、不思議なことがあって

接する人がいつもと明らかに違うというか

例えば、このはなしのうちの母と姉なんかもそうで

☆悲願の成就へ~託された想いが満ちる時~②☆

この時は、リュックをあげたら

「いらないものをよこす」って言ってたのに

10日後ぐらいにうちに母が遊びに来た時に

普通にリュックをしょっていて

「リュックだと両手が使えて便利ねー」って嬉しそうに言ってて

「お姉ちゃんが

りえにもらったリュックを使え使えっていうの

足が弱ってて、両手が使えた方がいいからって」

 

 

この日、姉も来る予定だった

お腹壊しているからと来なかったけど

いままで、うちに数えるほどしか来たことないのに

自分から来ようとしていたらしい

 

 

まるで、あの日に邪魔にされたような感じたことや

リュックをもらったことを迷惑そうにしていたのが嘘のようだった

 

 

そもそも、わたしがそう感じただけで

実際に迷惑だったのか分からない

 

 

確かに迷惑そうな言動をしていたが

まるで、わたしの小さいころの感覚を想起させるような

出来事だった

 

 

時として、こういういつもと違う相手を見た時は

後から、相手にそのことを聞いても覚えていないことがある

この時も、前のことが嘘のように

リュックが便利だと喜んでいて、

あの時のことを言ってもピンと来ないみたい

 

 

この日は姉が来る予定なのが来なかったから

姉に遠慮しているとか、姉の前では使わないようにしてたとか

そういうわけでもなさそう

 

 

わたしの感覚が相手にその言葉を話させたのか

わたしが幻想の世界を見ていたのか

パラレルワールド的に違う体験をしているのか

いずれかは分からないけど

このことがあって、ちいさいころ

きっと、こんな風なやりとりで傷ついたんだなーって

思って、落ち込んだ

 

 

でも、それが過ぎたら

さらに家族が愛おしく思えるようになった気がする

姉が来れなかったら、今度、わたしが遊びに行こう

お父さんにも会いに行こうって考えただけで

涙がでるほど嬉しかった

 

小さいころの自分の気持ちを分かることで

家族へのわだかまりが

また一つ解けて楽になったからだと思った

 

 

家族が大好きだって思えるだけで

幸せすぎるぐらい幸せに思えた

 

 

この日、母がリュックを背負って来たけど

小柄な母には、リュックが大きかったので

もう少し、小さいのを買ってあげようと

一緒にリュックを見に行った

「ふたつももらったら悪いよー」と母がいうので

 

「いいんだよ。前のはわたしがいらなくてあげただけだから

もしいらなければ、お姉ちゃんにあげてもいいし

自分で二つ使い分けてもいいよ」

 

そういう、自分の優しい気持ちがとても嬉しかった

その優しい気持ちでいたら

ずっと続きが書けなかった、自叙伝がサクサク書けた

 

 

あと、自分がすごく幸せな気持ちでいたら

なんでか急に思い立って

出版社に企画書を送ってみた

いのちのしくみをたくさんの人に伝えて、

みんなに幸せになって欲しいと思った

 

 

幸せな気持ちは人を自然とやる気にさせるらしい

 

 

こんな状態で人が生きれたら

幸せな世界が広がるだろうと思った

 

ちなみに、同じメーカーの小さめの黒いリュックを買ってあげて

前にあげた緑のリュックは姉にあげたらしい

 

3人でおそろいみたいで嬉しかったし

次に会った時も、母はリュックは便利だといって

喜んでいて、その喜びが自分のことのように嬉しかった

 

なんかね、リンクを貼った話しの

いじわるな感じの母と姉が不思議だけど

時に、追体験とか自分の感覚がそうさせたとしか

いいようがないほど、周りの人が的確に

なんらかしらの自分の中にある

感覚を再現してくれるときがある

 

 

そういう時って何かのトラウマが刺激されるから

すごく妙だったり、すごく不快だったりするけど

それに惑わされずに、

きちんと自分の気持ちを受け取ってあげたほうがいい

 

 

相手をただ非難して終わらせるのか

それを自分を知るきっかけとして受け取るのかで

全然、その後の流れが違うし

そういう時に、自分を分かってあげることで

そのトラウマ故に見えなかった、

自分の本当の幸せが見えてくるようになるよ

 

 

 

☆6月のおとぴのおうちお茶会&おはなし会☆

 

 

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