書きたいことがたくさんありすぎて
どこから書いていいか、整理がつかなくて
はなしがあっちこっちへ飛んでて
申し訳ないんだけど
とにかく、いま、一番、重要だと思っていることに
ついて話します
これわたしが、
小さいころから徹底的に抵抗してきたことなんだけど
恐怖で人を従えること
小さいから、言葉じゃうまく表現できなかったけど
この感覚がものすごく嫌だった
色んなやり方を人はするのよ
単純に、怒ったり暴力で威圧して
目に見える形で分かり易く
無理やりいうことを聞かせる方法もあるし
大人の意にそぐわないことを子どもがすると
罪悪感を植え付けるような感じで
怒って人を縛っていったり
あと表面的には、物分かり良さそうにしていたり
言葉では「分かるよ。わたしもそういう時があったわ」とか
理解を示すふりをして、
エネルギー的には自分の意のままに
コントールする人もいるんだけど
表面的には、良さ気にしているので
本人がそれをとらえられないから
これが、一番、ダメージでかいね
ちょっと前に夏至の日の恐怖の解放したけど
あの動画のイリアさんがまさにそういう風な感じなんだけど
言葉じゃ、「りえちゃん、愛してる」とか言ってくれているけど
感覚的には、古い時代の女性の支配とか所有とか
そういう感じで、全然、愛情を表現している
暖かい感じじゃなくて、すごく不自然で芝居がかっていて
それが気持ち悪過ぎて、わたしは叫ぶこともできなくなっているのね
そうそう、この動画のイリアさんは
本当に神が憑依して、わたしが嫌とするものを
すべて見せてくれたと言ってもいいぐらい
的確に、色んなことを表現してくれているのね
わたしは、恐すぎて訳もわからないし
動画じゃ分かり辛いかもしれないけど
下半身がものすごく震えが止まらないぐらい
怖くて、まともに会話もできないんだけど
それでも「りえちゃん、愛している」って言って
って言われるのに必死で応えているのね
でも頭の中は「?????」って感じで
恐すぎて感覚をとらえるどころじゃないのに
「あなたはいま、自分を投げ捨てた」とか言われて
えっ????わたしが悪いの???
わたし何かしたって????って
頭がまわらないながらも
すごく罪悪感を駆り立てられたんだけど
後から、動画をみると、それを言っている
イリアさんの声がものすごく気味が悪い
人はきっと、幼いうちに
こうやってものすごい恐怖の中で
訳も分からずに罪悪感を埋め込まれて
自分を捨てざるを得ないんだなーって
動画をみて思った
こういう風に人を恐怖で従えて来たことで
人の感覚が狂い、色んな誤作動を起こすんだと思うんだけど
そうした感覚が
ここ数カ月強烈に浮上して来ているように思うの
先月だっけ?北海道の山の中の置き去り事件
クマが人間襲うのなんかもそうみたい
人は恐怖で人を従えるだけじゃなくて
自分も恐怖でコントロールしているのね
幼いころに、知らず知らずに
そうやってコントロールすることが
埋め込まれてしまっているから仕方ないし
多くの人がそうやって生きているから
そのことに気付けない人が圧倒的で
自分も自分の人生もコントロールしようとするし
人をもそのコントロールに巻き込もうとする
何度もいっているように
この世界の絶対的な理(ことわり)があって
わたしは、わたしを生きる
あなたは、あなたを生きる
そういう理があるから、
わたしはわたしの人生を生きないといけないし
人の人生には必要以上に干渉してはいけないから
人の人生を思うようにコントロールするなんて
論外中の論外で、相手への冒涜であるだけでなく
自分自身への冒涜であるし
それはそれぞれの中にある神への冒涜でもあるの
それぞれの人に個性があるし
見えている世界も違うから
自分が良いと思う方法と相手の方法は違うから
自分が相手を思って良かれとすることが
相手のためにはなるとは限らない
だから、自分の世界を人に押し付けることは
相手の個性を潰すことでもあるから
絶対にしてはいけないの
ただ人と人とが生き合う上で
共に何かをすることが必要なことはたくさんある
そういう時は、誰かの意見を一方的に押し付けても
正解は産まれないの
正解があるのであれば
すべての人が共に生き合うために
それぞれの人の意見を出し合って出た答えが
初めて正解なんだと思う
例えばAさんが出した案が通ったとしても
そこにBさん出した要素も加われば
更に良いものになるだろうし
それぞれの人に、それぞれの人に見え方があって
それぞれの人の想いや考えがあるから
誰かの一方方向から見ただけの応えでは
すごく偏ったものでしかないし
そこに色んな人の色んな見方が加わることで
初めて、点が線になり、それが丸であったり、
色んな形がうまれるし
それぞれの人の色が交わって、美しい色彩が生まれる
たくさんの人と協力して
色んな形や色を生み出すために、わたしたちは
それぞれに個性を与えられて来たの
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だから、誰かが誰かを支配して
その個性を潰すようなことは絶対にしてはダメなの
だけどね、前時代は
自分を無くすことが当たり前だったから
みんながみんな潰れてしまっているから
これまで潰し合いをして来たのは仕方なかったから
それを互いに許し合って
それぞれの人が自分を取り戻して、
本当の人と人が生き合える世界を創っていかないといけないの
何度も行っているように
人は多くの感覚を潰してきているから
頭で思い描く自分の理想と
本当の自分の理想って
大きくかけ離れていることが多いのね
別に自分の人生をコントロールしようとしなくても
それぞれの人に生きるチカラが与えられているから
コントロールではなくて、
自分の中から湧きあがる想いに従って
生きていれば、自然と未来が照らされていくのね
自分をコントロールしたり、頭で従える必要なんて
どこにもないんだけど
人は本来のチカラを
恐怖で支配することで封じてしまっているから
そうせざるを得なかった感じなのね
でも、人に向けて支配するにしても
自分に向けてするにしても
恐怖で人をしたがわさせることって
結局のところ、ある意味、自傷行為みたいなものなのね
自分にそれをしても
どこまでも恐怖がついて回るし
恐怖で物事を選択するたびに
余計に人は怯えて行くのね
それが悪いってわけじゃなくて
そうやって前時代の人がやってきたこと
それが浮き彫りになっているから
誰が悪い訳じゃなくて
これは連鎖で起きているから
仕方なかったことだし
それをしている時って、ある意味、
魔物にとり憑かれている状態だから
自分じゃ、その衝動をとらえられないし
自分で、どうしてそれをしたかが分からないことが多いの
人が自分自身や、人に対して行って来た
恐怖で支配すること
それに気付かないと
どこまでも恐怖をあおられるような出来事が続くし
どんなに対策をしても、常識を超えた出来事が起こって
恐怖するだけなのね
恐怖による支配からの脱却
それがいまの人類に
早急に求められた課題です
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