ちょっとお久しぶりなブログです
昨日の満月でまた大きなピークがあったようで
感覚的な変化が大きくて
書きたいテーマはあっても
いまいち、その感覚が定まらなくて
ブログをいまいち書く気がしなかったんです
このシリーズで書いたように
知らず知らずに親や家族や色んな人から
無意識に受けて来た呪縛が分かるようになってきて
はじめて、自分の人生を生き始めているような感覚なので
なんか、慣れないというかおぼつかないというか
それがとても幸せで嬉しいことなんですが
入学したてのピカピカの一年生みたいに落ち着かないです
しかも何か呪縛に気付くたびに
またフレッシュな気分になれるので
嬉しいやら、落ち着かないやら不思議な気分です
本当に適材適所で、必要な時に
必要なことが起こるし、
必要な人に出会わせてくれるんだなーって思うんですが
前回の☆幸せです☆って記事の後
金曜日は姉と甥と両親に会う機会があったり
昨日は、母親がうちに掃除に来てくれました
全部、わたしが言い出したものではなくて
みんなの都合に合わせたものなんですが
ホンの一週間の間に家族に3回も会う機会があって
まるで家族と関わる時間を
必然的に増やしてもらったみたいです
家族って本当に色んなことの原点なんだなーって思うんです
夏至過ぎてからよく思うのは
家族から知らず知らずにかかっていた
呪縛ですごく人の行動って制限されていたんだけど
それから大きく解放されていい時代になったんだってことです
ふと気がついたのは、なんか姉と話していると
わたしすごくよく話すんですよ
それこそ機関銃のように
ふとわたしのはなしを姉がうざそうに聞いているのに気がついて
あれ?なんでわたしこんなに勢いよく話しているだろう???
って自分の不自然さに気がついて
きっと小さいころからの癖だな
こうやって、小さいながらに元気に話しかけて
姉を元気づけようとしていたんだな、
あと姉のエネルギーの巻き込まれない様に
自分を張って行った感じがあって
その緊張感でよくしゃべるのもあるのかもって
ふと思った
姉とは7歳離れているので
わたしが小さいときには姉はすでに大きかったんです
人は大人になるにしたがって
どんどん緊張感が強くなっていくので
子ども達はそういう大人達を何とかしようと
笑わせたり、いたずらしたり色んなことをするんですよ
そうやって大人を助けたいと思う反面
それに巻き込まれることを恐れて
あれこれ思考錯誤したりするみたいです
わたしが姉によく話すのもその一部な感じがしました
幼いわたしには必要だったんだろうけど
もうそんな不自然さはいらないって気付いたら
普通に落ち着いて話せるようになりました
なんか最近、本当に変化が早くて
深く掘り下げなくても、
気付くだけでも変わっていくものも多いなーって思います
あと、家族から言われ続ける言葉って
すごく重要なヒントか隠されているんだなって思ったんですが
よく姉に「お前は何にも気にしない」っていわれるって
書いてますが
一緒に買い物をしていてよく分かったんですが
エレベーターの中で普通に話していたら
「他の人もいるから静かな声で話して」といわれたり
スーパーでも、わたしのリュックが他の人の
邪魔にならないとように気にしたり
世間的にみたら、すごく気遣いができる人なんですが
わたしからしたら気にし過ぎな感じなんですね
どっちが良いとか悪いとかじゃなくて
それぞれの個性って言うか
それが気になる人もいれば気にならない人もいる
わたしの感覚で言うと、シーンとしたエレベータって
なんか気まずいし、重い空気が漂っていて
そっちのが苦手だわ
ただ他の人の迷惑にならない様に配慮するのは
分かるんですが、その時の姉の感覚が
ビクビクして怯えている感じって言うのかな
本人はそれほど自覚がないと思いますが
緊張しながら言って来るもんだから
いわれたほうもそれが伝わって委縮するんですね
たぶんわたしはその委縮する感覚が嫌で
姉に「大丈夫だよー」とかつい言い返してしまうので
わたしが何も気にしなってことになったんだと思います
たぶん、姉とわたしの気にするポイントが
違いすぎるので、他にもたくさんあるとは思います
ただ、この委縮して怯えている感じって
すごく感覚が狂うんですね
相手を過剰に心配している感覚なんかもそうなんですが
その感覚で返って身動きがとれなくなるし
感覚が狂うので返って悪影響になるし
委縮した感覚が余計に委縮する出来事を起こしたり
心配する感覚が心配する出来事と引き合うと思うので
無限ループにおちいって苦しいと思います
さらに感覚が狂うと色んなことが的を得なくなってくるので
余計に不安になるので悪循環だと思います
別にね、子どもに周りに
迷惑をかけないようにするということを
教えてはいけないとか心配してはいけないわけではなくて
すべては感覚なんですね
周りを過剰に気にして怯えて言わないで
普通に話しをすれば
変な抵抗は生まれないんですが
そこに怯えとか色んな感覚がかかってくると
いうこと聞くにしても、その行動に恐怖や緊張感がかかってくる
そうなると、エレベータで
話しながら乗るのが緊張するので
そういう人を見るとつい恐怖してしまい
注意するのにもそういう感覚が乗せてしまい
恐怖や緊張の連鎖を生んでしまう
まぁ、人は千差万別なので
それぞれに色んなケースがあるとは思います
あくまでわたしのケースでは
こうやって姉に怯えながら色んなことを言われるのが
すごく窮屈だった
だから姉に反抗的だったのかもしれないし
姉もそんなわたしを危うく思い
余計にあれこれ言って来たのかもしれません
昨日は、母と話していて
わたしがお腹にいる時に
産まれるまでつわりがひどかったのに
祖母にパシリにされたはなしとか
産後まもなく、水仕事をさせられて
他の親戚に心配されたのに
心配する親戚に「いいんだ」と言って
何もしてくれなかった話とか
聞きながら、「ひどい!!」と腹を立てながら
きっと、母のこういう悔しさや苦しさを
無意識に受け継いだから
わたしは自分勝手な人とか
人を思いやれない人が許せないんだなーって思ったり
ちなみに祖母はわたしにはそんなことはしなかったから
やっぱりそれぞれの相互関係で必要があってやるんだと思う
なんか、知らず知らずに家族から
受けて来た色んな呪縛が解けて行っていますし
そのたびに、ほっとするような楽に気持ちになれるので
とても嬉しいです
まだ告知していませんが8月のおはなし会は8月11日(山の日)の予定
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おとぴさん、わたしもうっすら思い出しました。母といるとき、とてもおしゃべりだった自分を。なんか、、子ども心にコワかったんですよね。それを紛らわせたかった。母の気持ちを紛らわせたかった。そんなことをうっすらと。
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>ゆのこりんさん
分かります(・∀・)
恐いと、ついおしゃべりになりますよね。
知らず知らずに、つい癖になってたりしますが、わたしの場合はその怖かった思いに気付いてあげたら、落ち着きました。